前回、“働き方”に関心が集まる一方で、イメージ先行の意見や取り組みも増えてきていると指摘した前刀禎明氏。高齢化が進み、働く期間が長くなる中、個々人が真の「働き方改革」をしなければ人生は乗り切れないと語る。
政策や法律を語るうえで「働き方改革」と言うとき、実質的な意味は「ブラック企業対策」に近いものだと思います。時間外労働の上限を月45時間にするなど、長時間労働を避けること、非正規で働く人に公正な待遇を確保することなどが働き方改革関連法(正式には「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」)の骨子になっています。
だから、各企業が取り組む「働き方改革」の施策も、労働時間を削減する方向のものがほとんど。とにかく残業を減らす、有給休暇を取りやすくするといったことが基本です。有休消化のほうは「休み方改革」という名前で推進されているようですね。
でも、僕は、働き方改革という言葉が浸透したのを機に、本当の意味で働き方を改革すべきだと思っています。言葉の解釈を狭め、誰が見ても明らかにダメなこと(極端な長時間労働、それを強いる企業)を是正するだけで終わらせてしまうのは残念です。ブラック企業対策は粛々と進めるとして、働きがいを感じながら仕事ができるとか充実感を得られるとか、そういった意味での“働き方”に変えることが、今、切実に求められていると思います。
つまらない仕事で人生乗り切ろうと思うほうが甘い
働き手の目線で見れば、多くの人は週に5日前後、起きている時間の大半を仕事に費やすのですから、いやいやではなく、前向きな気持ちで仕事に取り組めたほうが幸せです。企業にしてみても、働き手の数が減る中で、一人ひとりの労働時間を削減し、それでも生産性を上げようと考えたら、社員に積極的に能力を発揮してもらわなければなりません。
こういうことを言うと、きれいなお題目を唱えていると思われるかもしれません。「『充実感を持って』とか『やりがいを感じて』とか、仕事はそんなに甘いものじゃない」と反感を持つ人もいるでしょう。ですが、高齢化が進み、人生のうちで働く期間が長くなっていくこれからの時代、仕事場での時間をネガティブに過ごしても人生を渡り切れると思うなら、そのほうが甘いと僕は思います。
若くして成功した優秀な人が、40代で燃え尽きた例を見たことがあります。その人は成功がきっかけでしたが、いつからか考えることをやめてしまうと、あるいはそもそも考える習慣を身に付けないでいると、仕事はすぐにつまらなくなります。成長しない、変わらない自分が退屈で、とてもじゃないけれど、何十年も続けられません。精神的に“持たない”。誰にでも起こりえることです。だから今、考えてみてもらいたいのです。自分にとって働きがいはどんなところにあるのかを。
「働きがい」という言葉を使いましたが、人によっては「働く喜び」や「仕事への情熱」「誇り」などとしたほうがピンとくるかもしれません。「働く楽しさ」「(働いて満たされる)欲」……いろんな言い換えができます。正解はありません。いずれにしろ、仕事そのもので得られるものに限定して考えることが肝要です。
「仕事そのもので得られるものに限定して」とあえて言ったのは、きれいでおしゃれなオフィスとか、上司や先輩と仲良く過ごせる人間関係とか、人に自慢できる肩書とかは重要ではないからです。働くこと自体から得られる意義を、一般論ではなく自分なりに考える。今の自分の仕事にはこんな充実感が感じられるから楽しい、こんな成長の機会があるから楽しい、そういうことを意識すれば仕事への姿勢はおのずと変わります。
企業の生き残りがかかる問題
社員が働きがいを感じることは、企業にとっても大切です。新入社員の3割が3年で辞めていく、人が定着しにくい時代だと言われます。それでなくても少子化で人手不足です。どうやって優秀な人に入ってもらって、働き続けてもらうのか。企業の生き残りがかかった問題です。
最近はユニークさを売りにするオフィスも増えていますが、職場環境で社員の機嫌を取るのはお勧めしません。環境にはすぐに慣れますし、やがて飽きが来るものだからです。若手社員に対してなら、上司や先輩が、自ら感じている仕事の意義を伝えるほうがいい。働きがいは人によって違うものですが、それが何であれ、言葉や態度で示せれば、若い人にいい影響があるだろうと思います。もっとも上司や先輩自身が働きがいを感じていなければ、それも難しいことなのですが。
逆に、これはやめましょうという負の例も示しておきます。自分なりの働きがいを考えるとき、本心とは違うけど通りが良さそうだから、みんながそう言うから、と流されてしまうのは避けたいところです。自分にとってのやりがいでないと意味がない。
例えば、「クリエイティブな仕事がしたい」「クリエイティブな仕事ならやりがいがある」と言う人がいます。そこでいうクリエイティブとはどういう意味なのか。意味を深く考えず、漠然と思っているだけならば、かえって自分の可能性を狭めます。
クリエイティブな仕事といっても、誰がやってもクリエイティブになる職種、業務があるわけではありません。その人が日々、仕事の中に課題を見つけたり、それを解決する仮説を立てたり、その仮説を実証したり、何かと何かを関連づけて考えたり、そういうことを怠らずに、創造的知性を発揮して取り組むから、その仕事はクリエイティブになるのです。裏を返せば、あらゆる仕事はクリエイティブになり得ます。
それなのに、クリエイティブを狭義に捉え、製品やサービスを作り出す仕事、自由度の高い仕事のことだと思ってしまったら、自分の仕事がそうでなかったときにひどくつまらなく思えてしまう。本当はその仕事に面白みや意義、成長の機会などを見いだせたかもしれないのに、目がくもってしまって損をします。
働きがいを考えること──それはつまり仕事に対して自分なりの切り口を持つこと、会社や他人がその仕事をどう定義づけているかは脇に置いて、自分で捉え直しをすることです。それによって、仕事への向きあい方は変わるはず。そういう働き方改革を、一人ひとりが進めていくのはどうでしょう。働きがいを持って仕事をする、そして自分の存在意義を明確にする。仕事を価値あるものにし、成長できるかどうか、それは自分次第です。
(構成/赤坂麻実)