デジタルアートのトップランナーとして注目を浴びるチームラボ猪子寿之代表も、同社のソリューション事業が成長する中、情熱を傾けるアートが一向に評価されない「暗黒の10年間」を過ごしたという。その状況を一変させ、アートの「出口」を生み出す転機となったのは、何だったのか。津田大介が聞く。

チームラボ猪子寿之代表。東京・お台場の「森ビル デジタルアートミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス」にて
チームラボ猪子寿之代表。東京・お台場の「森ビル デジタルアートミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス」にて

津田 お台場に施設面積1万平方メートルの巨大ミュージアム「森ビル デジタルアートミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス(以下チームラボ ボーダレス)」を2018年6月21日にオープンさせ、フィンランド・ヘルシンキの新美術館Amos Rexのオープニング展「teamLab: Massless」を開催するなど、いまや日本でも世界でも大活躍しているチームラボ。最近はテクノロジーを駆使したデジタルアートでの評価が高まっていますが、もともとはウェブ制作、システム開発などの企業向けソリューションを主力としていますよね。06年にスタートした産経デジタルの総合ニュースサービス「iza(イザ)!」もチームラボが手掛けたもので、当時流行していたWeb 2.0を意識した野心的なシステムだったと記憶しています。

 最近では、猪子さんがそういう仕事に携わってきたIT起業家だということもあまりいわれなくなっていると思うのですが、設立からの18年をどう振り返りますか(2001年にウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」を設立)。

猪子 先にソリューションの仕事が世の中で評価されたので、そっちで有名になったのですが、実は創業当時からアートを作り続けていたんですよ。例えば、(18年1月から)ナショナル・ギャラリー・シンガポールに展示した「Walk, Walk, Walk: Search, Deviate, Reunite」という作品は、05年に制作した「花紅(ハナハクレナイ)」という作品のリメイクです。

 ソリューションをやるためにチームラボを作ったのではないけれど、社会的にはそっちのほうが評価されて、お金になる。一方でアートは評価されず、全くお金にならない。そんな状況がしばらく続きました。

津田 設立当初、いずれはアートでもマネタイズできるという確信はあったんでしょうか。

猪子 お金になるなんて1ミリも考えていませんでしたね。「出口」があるとも、何かのためになるとも思ってはいなかった。そうは言っても、チームラボを維持しなくてはならず、そのために企業向けのソリューションで維持してきました。もちろん、今でもソリューションはチームラボの主力事業ですよ。

津田 お金になるとは思えないけれど、アートを作り続けてきた。起業当時からアートをやりたいというビジョンは揺らがなかった?

猪子 ビジョンというと聞こえはいいですけど、その思いはありました。ただ、好きで作ってはいたけれど、今ほど興味を持ってもらえるとは思えなかったし、そもそもアートだとも評価されなかった。自分では意味があると思って作っていたんですけどね。

 現代アート、つまり「現代」におけるアートがやりたかったんですよ。情報社会となった現代は、いわばデジタルが日常の存在になっている世界。その時代に意味のあるものを作りたい、その時代だからこそ拡張される「新しい美」を生み出したいという思いが強くありました。

津田 つまりチームラボは、ソリューション事業の延長線上にアート事業が生まれたわけではなく、ソリューション事業と並行してアート事業を続けてきたということですね。そこの部分は重要で、もしかしたら世間のイメージとの乖離(かいり)があるかもしれない。

猪子 そうそう。だから当時は、「チームラボは何をやっているんですか」と聞かれても答えようがなくて。だから必ず「自分でも何をやっているか分かりません」と(笑)。

転機となった海外デビュー

津田 創業当時から「出口」がないままアートを作り続けていたチームラボですが、18年6月にオープンした「チームラボ ボーダレス」は、連日チケット完売で、たくさんの人たちがチームラボのアートを体験しにきています。いまやアート分野におけるチームラボの商業的な成功を疑う人はいないと思いますが、この出口を見つけるまでの最大の転機はどこにあったのでしょうか。

猪子 10年に現代美術家の村上隆さんから「世界で発表しなさい」と言われたことですね。それで翌11年に、作りためてきた作品を村上さんの台北のアートギャラリーに展示したんです。実は個展デビューは日本より海外のほうが先なんですよ。

 台北にはアジアを股にかけた働き方をする国際的な人が多く、そこで評価されたのがすごくうれしかった。さらにその展示が台湾人キュレーターの目にとまり、国際芸術祭のヴェネツィア・ビエンナーレの関連企画展に出展することになりました。

津田 台北での展示をきっかけに、活動が世界が広がっていったんですね。

猪子 そうなんです。翌年の12年には国立台湾美術館で大規模な個展を開催、13年にはシンガポール・ビエンナーレにメインアーティストとして参加、14年にはニューヨークのペースギャラリーから展示を依頼されました。

津田 デビューからわずか3年で世界有数の現代アートギャラリーからお呼びがかかったわけですか。日本国内ではほとんど評価されてなかったのに、海外に持っていったら突然世界的な注目を浴びるようになった。このギャップをどう感じましたか。

猪子 日本では「それまでにないもの」はゲテモノ扱いされますが、海外だと「それまでにないもの」のほうがピックアップされ、評価される。どうもローカルの価値観と、グローバルの価値観は違うんだなと感じました。日本社会では「意味が分からない」と評価されていたのに、グローバルだとデジタルアートの第一人者として扱われるわけですから。

 米国で初めての展示となったペースギャラリーでは、チェルシー地区が埋まるほどの人が集まりました。日本では全く知られていないのに、ここではみんなチームラボを知っている。「なんで来たこともない街で知られているんだろう」と。それで、自分たちのやり方は間違っていなかったんだと確信できましたね。同時に「僕の暗黒の10年間を返せ」とも思いましたけど(笑)。

津田 暗黒……最初から海外で活動していれば、もっと早く世に出られたかもしれないわけですからね。ただ、海外で評価されたことで、日本でもやれるという自信がついたんじゃないですか。

猪子 そうですね。日本でやるにしても「さらに独自路線を貫こう」と決意しました。ただそのためには、日本では自分たちが主体になって出口を作らなきゃいけない。それで、14年の日本科学未来館の企画展「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」では、主催の1つとして携わりました。これが東京でのデビューだったのですが、約47万人ものお客さんが来てくれて、その後も、16年にはお台場で「DMM.プラネッツ Art by teamLab」を、17年には渋谷ヒカリエで「バイトル presents チームラボジャングルと学ぶ!未来の遊園地」を開催しました。

津田 台北での海外デビューから遅れること4年、ようやく果たした国内デビューを大成功させ、その後も次々と国内での活動を展開していったと。

猪子 科学未来館の企画展が終わってから、自ら出口を作ろうと動き出しました。それが今年6月21日に常設ミュージアムとしてオープンした「チームラボ ボーダレス」です。

集団的創造を突き詰める

津田 先ほど「暗黒の10年間」とおっしゃいましたが、猪子さんとしては、チームラボが大きくなっていく一方で、アートが評価されないことへのじくじたる思いがあったということでしょうか。

猪子 そうですね。当時は「世間的には意味のないものを作っているのかなぁ」と思うこともありました。ただ結果としては良かったと思っています。今があるのも、チームラボという集団としての母体があったからで、1人では作れなかったでしょうから。

津田 手堅い仕事が求められる企業向けのソリューションと、誰もが見たことのないものを作っていくクリエイティブなアートは、関わる人の文化も含めて異なる部分が多いと思うのですが、チームラボはそこがうまく混じり合っているように感じます。そのために代表として何か工夫した部分はありますか。

猪子 僕自身は11年以降、アートに軸足を移しているので、実はもうソリューションにはあまり関わってなくて、現在は共同創業者たちが支えてくれています。ただ、アートもソリューションも、「集団的創造」であることに変わりはないんですね。

 ソリューションと言っても、アプリやシステムを実際に作って納品する「作る」仕事。専門性を高く持っていなくてはいけないんだけど、実際に仕事をすると専門性が違う人同士が自分の境界を越えて作る必要が出てくる。だから、ソリューションに関わっていたころも、今も、境界を越えて作りながら考え、考えながら作る集団的創造の場にしようということは意識しています。

津田 チームラボがソリューションで培ってきたノウハウが、アートで生かされたりもしているのでしょうか。

猪子 今やっているアートもいわばソフトウエアの塊のようなものですから、テクノロジーのベーシックな部分では共通しています。大規模開発での開発プロセスは生かされていますね。

津田 「暗黒の10年」は言っても、その10年間にチームラボが大きく成長したことで、現在の大規模なアートも実現できているわけでもありますよね。

 単にアートを作っていくということだけ考えれば、猪子さん個人でやることも不可能ではなかったと思うのですが、チームラボという集団でやることにこだわったのはなぜですか。

猪子 デジタル社会が、集団的創造の時代だと強く思っているからでしょうね。チームラボという社名も、「チームのラボラトリー」――集団的創造の実験室、研究所という意味ですから。

 プログラミングやエンジニアリング、3DCGアニメーションといった高度な専門性を持った人たちが、異なる専門性を持った人たちと領域を越えて一緒になって手を動かしながら考えていく。前もって言葉で明確にするわけではなく、考えながら作ることが重要になっていく時代だと思っています。

津田 チームラボがこれだけ大きくなったということは、そのやり方は間違ってはいなかったということでしょうね。新しい価値を生み出そうというところで悩みを抱えている企業も多いのですが、集団的創造がそういった企業にブレイクスルーをもたらす可能性はあるのでしょうか。

猪子 うーん……、分からない。普通の企業であれば、前もってゴールを明確にしたり、言葉や論理であらゆることを説明できたりしないといけないのですが、それとは別のアプローチをすることが一般企業にとって果たして良いことなのか……。

津田 一般企業であれば、ビジョンを示して社員のモチベーションを上げることが重要だと言われたりしますが、チームラボは全くそんな感じはないですしね。傭兵集団という印象があります。

猪子 やることを示して、ただそれをひたすらやっていくだけです。とにかく作ることだけに集中する戦闘集団になっているんでしょうね。だから、作り始める時にアートのコンセプトもあまり共有しない。

津田 それは言わなくても分かっている、ということですか。

猪子 なんとなくは分かっているのかも知れませんが、基本的にはみんな専門性が違うから、それぞれが自分の専門とする目的に集中してもらっています。エンジニアであれば、実現するためには技術的な問題が山ほどあるから、そこに集中する。

津田 8Kプロジェクターを数十台使って、しかも全作品を通信させて滑らかに動かしているわけですからね。技術的ハードルは非常に高い。

 お話をうかがっていると、11年以降は、チームラボのアート部門も戦闘集団になっていって、猪子さん自身もアートに専念できる環境が整ってきたということですね。

猪子 そうですね。幸いなことに、今はアートに集中できています。作ったもので評価されて、それが次につながっていく。本当に幸せですね。

チームラボ猪子氏(左)と津田大介
チームラボ猪子氏(左)と津田大介

(写真/陶山勉)

※対談後編「チームラボ猪子代表×津田大介 アートで世界の価値観を変える」へ続きます。