お酒を楽しみながら気軽に絵の描き方を学べる「Artbar(アートバー)」が人気だ。ゴッホやモネ、ピカソといった名画の模写や、「たらし込み画法」などの絵画技術を用いた“作品”を、未経験者でも僅か2時間で描けるようになる。利用者の90%がZ世代を含む若い女性で、予約が取れない人気のレッスンも少なくない。若者がなぜアートバーにハマるのか?

アートバーの店内。右奥でドリンクを作り、各自に提供される。参加者は店で貸し出されるエプロンを着けて着席する
アートバーの店内。右奥でドリンクを作り、各自に提供される。参加者は店で貸し出されるエプロンを着けて着席する

 東京の渋谷駅から徒歩で15分程度かかる代官山の街角に「ArtBar Daikanyama」はある。建物の外観はこぢんまりとしたおしゃれなカフェだが、室内に入ると、そこには異空間が広がる。壁には絵が飾られ、2つの大きな机には絵の具が飛び散った跡があり、その机上には真っ白なキャンバスが複数設置されている。ここは単なるバーではない。お酒を飲みながら絵の描き方を学べる稀有(けう)なバーなのだ。

 筆者は2021年8月末、午後6時から始まるレッスンに参加した。ゴッホの名画「ローヌ川の星月夜」を、絵の素人でも僅か2時間で描き上げられるようになるという人気の回だ。料金はレッスンによって異なり、今回は5500円(税込み)。料金にはレッスン代の他、画材、飲食代の全てが含まれ、利用者は基本的に手ぶらで参加できる。

 アートバー代官山店の定員は15人だが、コロナ禍の感染防止対策のため、当日は半分程度に制限されていた。50代男性の筆者の他は、1人で来たり、友人同士で申し込んだりした若い女性が計5人参加。参加者は「初心者でも大丈夫と聞いて来た。絵を描くなんて10年以上ぶり」などと期待に胸を膨らませつつ、「本当に自分がゴッホを描けるようになるのか」と心配でいるようにも見える。

 なお、参加時は緊急事態宣言のさなかだったため、アルコールの提供は自粛。代わりにパッションフルーツジュースなどのソフトドリンクが飲み放題となっていた。では、本当に絵の素人がゴッホを描けるようになるのか。

色を重ねていくと、あの名画が目の前に

 各自、好きな席に座る。目の前にはキャンバス、手元にはその日使うと思われる青や黒、白、赤など数種類の色のアクリル絵の具が用意されている。ただ、何をどうすればいいかは全く分からない。戸惑っていると、1人の若い男性スタッフが、「では、始めます。私は講師のLuci(ルチ)です」と、立ってあいさつをした。どうやらLuciさんが描き方の見本を見せ、それをまねて参加者が描き進めるスタイルのようだ。

着席すると、目の前には白いキャンバスがあり、各自の手元にはシート上に分けられた絵の具が配られた
着席すると、目の前には白いキャンバスがあり、各自の手元にはシート上に分けられた絵の具が配られた

 まず、絵の具を混ぜてゴッホの模写に必要となる色を作る。例えば、筆先で青色に水色を少し混ぜたり、黄色に白色を少し混ぜたりして、微妙な色のトーンを調整していく。そうして作った色を使って、最初は恐る恐るキャンバスに筆を置く。ただ、少し試すうちに慣れてくると、スムーズに筆を走らせることができるようになり、キャンバスに色を乗せていくことが徐々に楽しくなっていった。

 講師のLuciさんが色の作り方から描き方まで、全て見本を見せてくれることも安心材料だ。不明点は、聞けば一人ひとりに優しく教えてくれる。時折、ドリンクに手を伸ばし、喉を潤しながら、またキャンバスに向かう。人前で絵を描くのは中学生以来だ。がちがちに緊張するかと思いきや、カフェバーというカジュアルな空間にいることもあり、意外にリラックスして描くことができた。

講師のLuciさん。絵の具を混ぜて色を作る方法も、自ら見本を見せながら丁寧に教えてくれる
講師のLuciさん。絵の具を混ぜて色を作る方法も、自ら見本を見せながら丁寧に教えてくれる
筆の運び方、線の引き方も一つひとつ分かりやすくレクチャー。迷うことなく、描き進められる
筆の運び方、線の引き方も一つひとつ分かりやすくレクチャー。迷うことなく、描き進められる
黒色を使った影の付け方も、ゴッホのやり方を踏襲して教える。皆、画家になったつもりで、一筆一筆丁寧に入れていく
黒色を使った影の付け方も、ゴッホのやり方を踏襲して教える。皆、画家になったつもりで、一筆一筆丁寧に入れていく

 途中経過では、これがゴッホのあの名画になるとはとても思えなかった。だが、Luciさんの筆の動きをまね、レクチャーを受けながら様々な色を重ねていくと、驚くことに意外とさまになり、名画に似た仕上がりになっていった。最後は画家気分で自分のサインを作品の端に記して終了だ。参加者は各自スマートフォンのカメラで描き上げた「ローヌ川の星月夜」と自分自身の記念写真を撮影し、早速SNSに投稿する姿も見られた。皆、一様に達成感を覚え、なかなかの作品の出来栄えに満足感を得ているようだった。

 もちろん、本物の名画とそっくりそのままではない。Luciさんが描いた見本のほうが模写としての完成度は高い。だが、各自が描いた作品も、少し離れれば、「それなりに」よく見える。その作品を「素人の私でも描けた」とSNSに投稿する参加者が多い。それをきっかけにして、「そんなに手軽にできるなら、自分も体験してみたい」と、新たな若者がアートバーの門戸をたたく。こうした好循環が多方面で拡大、再生産され、アートバーは人気を博しているのだ。

参加者それぞれのゴッホ「ローヌ川の星月夜」が無事完成。少し遠めからなら、なかなかの出来栄えだ
参加者それぞれのゴッホ「ローヌ川の星月夜」が無事完成。少し遠めからなら、なかなかの出来栄えだ
【ココが響いてます from原田氏の若者プレゼン大会】
慶応義塾大学 山崎瑠莉さん
 お酒を飲みながら絵を描く唯一無二の体験が若者に響いています。おしゃれな絵は描きたいけど、失敗リスクがあると、正直お金を払ってまで参加するのは気が引けます。ですが、アートバーは講師が一人ひとりの進捗を逐一見てくれて、的確なアドバイスをくれるので、絵が苦手な人でも名画が描き上げられます。若者の間では、コロナ禍で“巣ごもり生活”をする中、自分の部屋を間接照明などでグレードアップすることがはやっていますが、そこに自分が描いた絵を飾って部屋を演出できることも、人気の要因でしょう。

21年上期だけで利用者数は19年の14倍に

 アートバーは、運営会社であるArtbar TokyoのCEO(最高経営責任者)で米シアトル出身のキャシー・トンプソン氏が15年に創業した。もともとバーでお酒を飲みながら絵を描く「ペイント&シップ」という文化が欧米にはあり、10年ごろに全米で大ブームを巻き起こした。トンプソン氏はその文化を日本でも広めたいと、開店に踏み切った。

 当初の利用者は、ペイント&シップの文化を知る欧米から来日して居住していた外国人。だが、しばらく売り上げは低迷し、1日の参加者が1人、あるいはゼロでレッスン自体が中止となる日もあった。

 潮目が変わったのは19年だ。「Instagramで数万人のフォロワーがいるインフルエンサーが体験に訪れ、出来上がった作品を投稿したことで最初のブレークが起こった」と、Artbar Tokyoで講師兼ビジネスリレーションマネージャーを務める佐藤桃実氏は話す。そこからは口コミで広まっていき、若者の間にその存在が浸透していった。

 そして、大きな山が来たのが、新型コロナウイルスの感染拡大による1回目の緊急事態宣言が解除された後の20年6月ごろだ。新しい体験価値に飢えていた若者たちがこぞって訪れ、人気は着実に上がっていった。さらに、21年3月、新たに原宿店がオープンし、6月には横浜でポップアップストアも展開された。こうして3店体制に拡充されたことで、利用者もうなぎ登りで増加。21年上期(1~6月)だけで、19年1年間で訪れた利用者数の約14倍に上るほど、驚異の成長を示しているのだ。

 「講師の言う通りに描いてもいいし、参考にしながら自由に描いてもいい。そして、うまく描くことに固執せず、楽しく描く。日本人にとっては新鮮なアートとの向き合い方が人気の原動力になっている。楽しいからまた来たくなり、リピート率は50%を超える。また、楽しく描けると、誰かに教えたくなるからSNSの投稿も多い」と佐藤氏は分析する。

 実際、筆者と同じレッスンに参加した柳杏奈さん(24歳)は、実に4回目の参加だった。「友人のInstagramで知って参加し始めた。もともと絵が好きだが、素人でも教えてもらって描ける体験が新鮮。好きな絵があったらすぐ予約して参加している」と話す。

「私たちは特に大きな宣伝広告を行っていない。自然に口コミが広がり、人気が爆発した」と話すArtbar Tokyoの佐藤氏。Instagramの公式アカウントのフォロワー数は19年の約1000人から直近では1万8000人に膨れ上がっている
「私たちは特に大きな宣伝広告を行っていない。自然に口コミが広がり、人気が爆発した」と話すArtbar Tokyoの佐藤氏。Instagramの公式アカウントのフォロワー数は19年の約1000人から直近では1万8000人に膨れ上がっている

 実はアートバーは、企業向けのプログラムも展開している。部署や部門の社員、管理職が複数で参加し、それぞれが絵の一部をキャンバスに描き、最後に合体させると一枚の大作になるという試みだ。チームの結束を促す、いわゆる「チームビルディング」の施策の一つとして提供している。

 また、20年11~12月には、企業の福利厚生として社員が参加する「ペイントパーティー」をオンラインで提供するサービスも実施した。事前にキャンバスや絵の具を社員の自宅に郵送し、講師が画面上で指導しながら、各自が作品を仕上げる流れだ。最大100人が参加するオンラインレッスンを成功させたという。その他、月1~2回は店舗以外の場所に出張し、イベントも行っている。

 こうした企業向けやイベントスペース、あるいはオンラインレッスンなど、店舗以外のアプローチを拡充することで、若者以外にもリーチする戦略だ。肩肘張らずに絵を描くことは、コロナ禍の自粛生活の中でひとときの癒やしにもなる。完成した絵を部屋に飾る楽しみも、若者だけのものではないだろう。アートバーの試みは若者ヒットから大きく飛躍を遂げそうだ。

原田曜平氏もアートバーを体験してみた
 私は絵が下手で仕方ないのですが、アートバーでは講師から言われた通りに描くと、それなりに見える絵をたった2時間で描かせてくれました。ちょっとアーティストぶって自分に酔いしれられて、2時間も絵に没頭できる。コロナ禍でたまったストレスを発散できる場でもあります。

 また、今はやはり“体験価値”が何より重要。新しい体験を提供できる店やサービスがZ世代に刺さり、それがSNSを通じて拡散されるという構図です。アフターコロナではいかに非日常の体験を提供できるかが勝負の分かれ目でしょう(原田氏談)。

(写真/古立康三)

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