春、高原の桜の木の下で、若い男女が向き合っている。女性がバスで都会へ旅立つと、カメラが上昇。桜を中心に回りながら、待ち続ける男性と、移り変わる四季の景色を映し出す。そして1年後、美しく成長した女性が、満開の桜の下へ戻ってくる……。クラシエ「いち髪」のCM「日本の四季」篇だ。
いち髪は、古来より日本人の洗髪に使われてきた「和草」を研究して開発されたヘアケアブランド。2006年に発売してヒットしたが、当時20代だったメインユーザーは、30~40代に。「今の20代女性に向けて商品をリニューアルし、広告も刷新するべきだと考えました」(クラシエホームプロダクツ宣伝・販促部長の牧戸和至氏)
クリエイティブディレクターに選んだのは、カロリーメイト、日清どん兵衛など、多くのヒットCMを手掛けている、catchの福部明浩氏。「ディアボーテ」「マー&ミー ラッテ」に続き、クラシエホームプロダクツでは3ブランド目の担当となる。
「横文字のヘアケア製品が多いなか、縦書きの日本語で、漢字まで入っているブランドは珍しい。成分も、明日葉やなでしこが入っていたり、桜の香りをモチーフにしたりしていて、純日本的な魅力があります。ただ、それらを僕も、担当するまで知らなかった。また、最近のCM業界には、ブランドのパーパス(存在意義)を訴求しようという流れがありますが、それによって、ヘアケアブランドのメッセージが似通ってきている。発売から16年。もう1回、きちんと自己紹介をしたほうがいいだろうと思いました」(福部氏)
原点に返り、和草を育てる「日本の四季」に注目。桜を中心に、自然の変化と男女の1年を描く冒頭の企画を考えた。こだわったのは、CGではなく、実写で、1年かけて日本の四季の風景を撮ること。
「これまでも桜の木を使っていち髪のCMを撮ったことはあるのですが、1年を通して撮影なんて聞いたことがない。壮大なアイデアを見たときは、予算面も含め、正直、どうしようと思いました(笑)」(牧戸氏)
それでも企画にほれ込み、牧戸氏は社内の承認を取り付けて企画を進めた。キャストには「純日本風の顔立ちをされていて、いち髪のロゴと並んだときも合う」(福部氏)と、ターゲットと同世代の永野芽郁を起用。相手役はオーディションを行い、俳優・モデルとして活動する東ヨシアキを選んだ。
前代未聞の1年掛かりの撮影
ロケ地は「1本の桜の向こうに山が見えて、紅葉や雪景色が見られる場所」(福部氏)を探索。全国15カ所の候補地から、山形県最上町の前森高原に決めた。ただし、ベストポジションに桜がなかったため、樹木医の監修のもと、近くの桜を移植。「タイムラプス」と「コマ撮り」を融合さて、21年10月から撮影を開始した。
「定点カメラで空を撮って、太陽が上っては沈んでいく映像がよくありますよね。あの『タイムラプス』の手法を使って四季の変化を撮ることにしたのですが、今回は桜を中心に、1年間かけてカメラをぐるっと1周させなきゃいけない。高さや角度を計算し、ミリ単位でカメラを動かしながら、1コマずつ写真を撮っていく作業が必要でした。
まず、それをやってもらえるカメラマンを探し、その日数分、スケジュールを確保することが大変でしたね。最終的に伊藤元さんという一流のカメラマンがやってくれて、撮影隊は80日以上、制作部は100日以上もこのCMに時間をかけてくれました。実は『ディアボーテHIMAWARI』も『マー&ミー ラッテ』も同じ広告代理店(博報堂)、プロダクション(AOI Pro.)がやってくれているんです。クラシエさんを含め、博報堂の営業やAOI Pro.のプロデューサーと今まで培った信頼関係があったからこそ、実現できた撮影だと思います」(福部氏)。
1秒分の映像に必要なカット数は、24コマ。「10月に25日間かけて4秒分を撮り終えた」(福部氏)という想像を絶するペースだ。以降、翌年夏にかけて計7回の長期ロケを行い、稲(米ぬか)やなでしこなどのインサートカット用の植物も育てながら撮影を行った。
最も心配したのは、春。永野の出演シーンだ。
「そもそも永野さんの映画やドラマの撮影の合間に、たまたま桜が咲いている可能性は相当低い。とはいえロケ場所を変えるわけにはいかないし、彼女を美しく撮るには、自然光の中で撮りたい。だから早い段階から、4月下旬の開花時期にスケジュールを押さえていたんです。でも、それが諸事情で、5月のゴールデンウィークにずれて。その1~2週間は、桜にとって本当に大きい。『なんとかもってくれ!』と願っていたら、撮影の2日前に大雪が降って(笑)。もう、桜が雪で折れんばかりになっていたんですけど、スターは晴らすんですよ。当日は快晴で、花びらも奇跡的に残っていた。彼女の不思議な力を感じましたし、桜の生命力に感謝しました」(福部氏)
延べ85日800時間、総カット数2万5000を超える撮影が終了。音楽にはYOASOBIの『好きだ』を起用し、「日本の四季」篇が完成した。
福部氏が考える「ヒットの法則」
22年9月9日から放送すると、「美しさに目がくぎ付けになった」「改めて日本っていいなと思った」といった声がSNSに上がり、大きな反響を得た。
成功要因としては、約1年という異例の長期撮影で、斬新な映像を提示したことが大きいだろう。その企画の背景には、福部氏が考える「ヒットの法則」が関係している。
「今は、ストーリーやオチがよくできているほど、視聴者に『お話』として受け取られてしまう。だからあまり企画しすぎず、素材をそのまま出すほうがいいと思うんです。また、みんな考え方が違うので、共通の話題になるのは、季節や天候、そしてみんなが乗っている“乗り物”である『時間』くらいしかない。今回は、老若男女が話題にできる『日本の四季』という大きなテーマを見つけて、そこに1年という『時』の要素を入れつつ、あえてあまりドラマタイズしない、『日本の四季と、日本人の髪の美しさを見せる。以上。』という企画にこだわりました」(福部氏)
それを実現してくれたスタッフには「感謝しかない」と最敬礼だ。
「冬は極寒だし、夏は虫にかまれて、足首の位置が分からなくなるくらい腫れた人もいて……。僕が現場でできるのは、感謝を伝えることくらいでした。また、影の立役者は、(相手役の)東君。冬は吹雪の中で1日10時間、何日も桜の下に立ってなきゃいけないんですよ。彼が売れっ子になったとき、『人生で最もつらかった仕事は?』と聞かれたら、絶対にこのCMのことを話すと思います(笑)」(福部氏)
実現にあたっては、「間違いなく素晴らしいCMになると確信していましたが、これまでにない撮影手法や映像表現であるが故に、絵コンテで表現されたCMのイメージを説明することに大変苦労しました」と牧戸氏。「最終的に社内でゴーサインが出たときは、本当にほっとしました」とも語り、陰の苦労がしのばれる。
「牧戸さんが社内に企画を通してくれている間にも、紅葉が終わり始めていて。早くしないと最初の秋パートが撮れないので、僕らは同時進行で撮影の準備を始めました。牧戸さんはきっと、すごいプレッシャーだったと思います」
放送後、「売り上げはオンエア前から約30%伸び、22年9月のシェアは4.5%に。過去最高の数字です。また、『メイト』と呼ばれる永野さんの熱狂的なファンの方々から、『芽郁ちゃんを起用してくれてありがとうございます』という声が、かつてないほど多くて。映像美やYOASOBIさんの起用とともに、永野さんの起用も大きかったと思います」と牧戸氏。ロケ地には“聖地巡礼”を行う観光客が訪れ、町おこしにもつながっているという。
クラシエホームブロダクツ 宣伝・販促部長
catch クリエイティブディレクター