いまだに名作CMといえば名が上がる「クリスマス・エクスプレス」。山下達郎の楽曲をバックに、遠距離恋愛の男女の駅での再会を描いたJR東海のCMシリーズだ。その1作に出演した深津絵里がJR東海のCMに出演。コロナ禍ならではの状況を反映した内容が反響を呼んだ。その裏側をクリエイターに聞く。
夕方の新大阪駅。新幹線に乗り込んだ女性が、その日の出張を思い出す。マスク着用でのミーティングを終え、駅に歩き始めたときのこと。ふと振り返ると、クライアントの2人が、マスクを外して、笑顔で手を振っている。それを見てうれしくなった女性は、同様にマスクを外し、はにかみながらも手を振り返す……。深津絵里が33年ぶりにJR東海のCMに登場して話題を呼んだ、「会うって、特別だったんだ。」篇だ。
「JR東海は、東海道新幹線で人と人の出会いを支えてきました。CMでは恋人や家族との再会を描いてきましたが、今はコロナ禍で、会いたいときに会えない状況が続いています。そこで今回は、乗客の6割を占めるビジネスパーソンに向けて、『会うことの価値』を表現するCMを作りたいと思いました」(JR東海 広報部 東京広報室室長の古澤秀明氏)
企画を担当したのは、電通のクリエイティブディレクター・野崎賢一氏。JR東海では「そうだ 京都、行こう。」シリーズも手がけている。
「働く人それぞれ、仕事の内容も、会う状況もさまざま。どういう向き合い方でいくか、正直、非常に悩んだところからスタートしました。企画の糸口になったのは、コロナ禍での自分の仕事での経験です。毎月撮影していたあるCMが、コロナ禍で一時、撮れなくなったんですよ。その後、スタッフと再会したときに、うれしくて、手を振り合ったことがあって……。その瞬間、みんなで会って仕事をするって、特別なことだったんだと思いました」(野崎氏)
ドキュメンタリーのように撮影
もう1つ糸口にしたのが、「クリスマス・エクスプレス」だ。山下達郎の名曲をバックに、遠距離恋愛の男女の駅での再会を描いたJR東海のCMシリーズで、1988年の第1弾でブレイクしたのが深津。コピーは「会うのが、いちばん。」だった。
「当時、物質的に豊かになってきた一方で、やっぱり一番の幸せは、人と人が会うことだと気付かされた。その時代の空気を描くという意味で、ドキュメンタリーに近いCMだと思うんです。そういう時代感の描き方を継承して作りたいと考えたときに、今ならマスクを着けている人たちを描くべきだろうと。また、多くの人が経験する出張を描くことで、感情移入してもらいやすいのではないかと思いました」(野崎氏)
それを33年の時を経て深津に演じてもらうと、「JR東海にとってもドキュメンタリー性がある」(野崎氏)と考えたという。撮影でこだわったのも、ドキュメンタリーのように撮ることだ。
「そのため共演者も、衣装や美術の面でもリアリティーにこだわりました。特に、今の時代を描くとなると、マスクは避けられない。でも、マスクをつけると出演者の表情が見えない(笑)ので、マスクを外す一瞬を企画にすることにしました。女性の仕事は、図面を見たり、素材のサンプルなどを共有しながら会議をすることが多い、建築の内装業という設定に。取材してミーティングシーンの脚本も作り込みましたが、業種が分からない方が、視聴者が自分事化できる。編集では、あえてセリフが聞こえないようにしました」(野崎氏)
ホームのシーンは、早朝、乗客が増える前の新大阪駅で撮影した。
「短時間で撮らなきゃいけないし、それ以前に、絶対に事故を起こしてはいけない。事前に特訓して臨みました。ラストの去りゆく新幹線のカットは、いろんな場所をロケハンして、カメラマンの瀧本幹也さんが『ここがいいんじゃないか』と言ったところが、とあるマンションの階段だったんです。その階段をお借りして、日本に2本しかない超望遠レンズを使って撮影しています。誰もがよく知っている新幹線の、でも新鮮なアングルを狙いながら、新幹線ファンの方々にも喜んでもらえるようなカッコイイ映像を目指しました」(野崎氏)
セリフではなく表情と音楽で表現
編集段階でこだわったのは、音楽だ。3人組バンド「odol」に書き下ろしてもらったという。
「今回、たくさんの働く人に『ああ、これは自分の話だ』と感じてもらえるようにしたいと思ったんです。そのためには、セリフではなく、しぐさや表情と音楽で気分を作るのがいい。古今東西の音楽を聴いて、odolの楽曲ですごく合う曲を見つけました。でも、『今回のテーマを元に、曲を作っていただけませんか?』とお願いして。企画の意図をお伝えして、書き下ろしていただきました。
音楽メインにしたのは、その方が広告として目立ちやすいと思ったことも理由です。今は全体的に、迫ってくる、押し出しが強い広告が多い。今回『会う』ことの価値という普遍的なテーマなので、他と違う顔つきでいった方がいいだろうと。ふっと引き込まれるようなCMにしたいと考えて、『クリスマス・エクスプレス』と同じ音楽メインのフォーマットになりました」(野崎氏)
完成したCMは、ターゲットにも視聴者が多いTBS日曜劇場の『DCU』初回放送時からオンエア(1月16日)。長尺の60秒バージョンを放送したところ、大きな反響があった。
「『DCU』でCMを流すという予告をツイッターで行っていたので、私も『DCU』を見ながらオンエアを待ちました。気が気じゃなくて、ドラマの内容は頭に入ってこなかったです(笑)。放送後は、ものすごい勢いでSNSに書き込みが増えて、ほとんどが『泣けてきた』『また時期が来たら新幹線に乗りたい』といった好印象のコメントでした。流せて本当に良かったと思いました」(古澤氏)
「人と人」を描く普遍性
実は、企画開始は2020年の春。長引くコロナ禍で、「いつ撮影し、いつ放送するのか。決断が難しかった」と古澤氏は明かす。野崎氏は、企画開始から2年近くも携わった。
「先が読めない中、1本のCMにこんなに長く関わったのは初めてでした。その間に、『今なら、こういうメッセージがいいんじゃないか』とか、『もしコロナが収束し始めたときなら、こういう企画がいいのでは』とか、ありとあらゆるパターンを企画したのは事実です。でも、そうやって2年の間にテーマが絞られてきて、シンプルに働く人の1人として感じたことを企画にしていくことができました。一緒に作った気がしますね。時代とともに」(野崎氏)
成功要因としては、深津起用の話題性に加え、時代に寄り添う企画にできた点が大きいだろう。特に最後の手を振り合う場面に、心を動かされた人は多いはずだ。
「マスクをして打ち合わせすると、動きやしぐさが大きくなる。だからこそ、自然な素顔が見られたときに安心するところがあると思うんです。クライアントの2人も、少し照れくさそうに手を振る。女性も、仕事上の付き合いなので大きくは振れないけれども、うれしくて、ちょっと振っちゃう(笑)。ビジネス上の関係でも、根本は人と人。人間模様がこぼれ出るようなものにしたかった」(野崎氏)
まん延防止等重点措置の適応を受け、5日間で放送を取りやめた同CM。古澤氏は「開始時点で大きな反響を得られたので、休止の決断もすばやくできた」と話す。その後も、SNSでの再生回数が伸び続けている。その展開も含めて、今の時代を反映したCMといえるだろう。
JR東海 広報部 東京広報室室長