3万人が予約待ちする、ホーロー鍋のブランド「バーミキュラ」をご存知だろうか。名古屋市中川区にある愛知ドビーという小さな企業が生み出したこのブランドは、発売直後から予約待ちとなり、仏ル・クルーゼなどと並ぶ人気調理具ブランドへと仲間入りを果たした。鍋とフタの精密加工によって密閉性を高めて、食材から出た蒸気や風味を逃さないようにする構造で、水を使わない無水調理を可能にした。

予約待ちが途切れないほどの人気の理由は商品の機能だけではない。愛知ドビーは発売当初から、顧客と直接つながる直販サイトでの販売にこだわってきた。「徹底した顧客主義」で製品を開発し、サービスを提供する。そうした経営戦略の下に顧客満足度を高めて、顧客が顧客を呼んでくる。そんな循環を作り出していることが、同社の強みの本質だ。
ブロガーの声で信頼の土台作り
愛知ドビーは元々、メーカー向けに機械部品を製造するBtoB(企業間取引)事業が主な収益源だった。しかし、かねてから土方邦裕社長は、「下請け企業は、収益が景気の動向に左右されすぎる」ことを経営課題と感じていた。消費者と直接つながれる商売ができれば、景気が悪くとも自ら事態を打開できる──。そう考えて、弟である土方智晴副社長とともに開発したのが、バーミキュラだ。
バーミキュラは消費者と直接つながることを目指して開発した製品だから、既存流通を介さず、直販サイトを通じて販売することにこだわった。しかし、立ち上げたばかりのバーミキュラにはブランド力がない。町工場が声を大にして製品の魅力を叫んだとしても、それを消費者がうのみにしてくれるとは考えにくかった。
そこで、ブランドの信頼感を醸成するための最初のステップとして、第三者の声を活用した。料理関連の著名なブロガーや料理研究家を調べて、発売前のバーミキュラの製品を使ってほしいと直接交渉した。依頼においては、ブログ記事の執筆などを促すのではなく、製品を使って、気付いた点があれば意見として直接教えてほしいと伝えた。料理好きならば製品の魅力に気づき、ブログに製品に関する記事を書きたくなるはず。そう、考えた。この狙いが的中したのだ。
「商品を提供したほとんどの人が書いてくれた。中には燻製を作ったら焦げた、といった意見もあったが、それも製品改善の参考になった」(土方副社長)。
こうして、料理好きの間で話題になったことが、雑誌やテレビ番組などの取材につながった。ブロガーやマスメディアなど第三者の評価を得ることで、ブランドへの信頼感を作り上げていった。その結果、2010年に発売するやいなや、多数の注文が殺到。急激な注文の増加に生産体制の整備が間に合わず、納品待ちの”行列”ができた。
しかし、大ヒットを目の当たりにしながらも土方社長は「話題が長続きするわけではない」と冷静だ。今でこそ町工場発のヒット商品として、マスメディアで取り上げられる機会が多いが、物珍しさが薄れたときにこそ、顧客から支持を得られているブランドかどうかの真価が問われることになる。そのとき、重要になるのが顧客からの信頼だ。だから、愛知ドビーは顧客から信頼を得るための施策に心血を注いでいる。
顧客の声から本を出版
愛知ドビーは商品販売と同時に、「バーミキュラ オーナーズデスク」と呼ぶ顧客専用の問い合わせ窓口を用意した。「ホテルのコンシェルジュのような役割」(土方副社長)で、メールや電話でどんな内容にも応対する。同デスクの担当には「半年以上、毎日バーミキュラを使用する」「バーミキュラで100種類以上のレシピ調理経験がある」「10以上の他ブランドの鍋との調理比較をしている」といった、厳しい条件を課している。それゆえに、「柿をたくさんもらったので、バーミキュラを使ってうまく調理をしたい」といった難題にも答えられる。レシピに関する問い合わせが多いため、4月には社屋を改装して、キッチンを設置した。

このオーナーズデスクへの問い合わせは、サービスや製品の開発に役立てている。8月に始めたギフトサービスもその1つだ。
バーミキュラはその人気ゆえにギフト需要も高い。しかし、現時点では注文してから納品されるまでに8カ月を要する。それを知った消費者から、「まず目録を送って、その後に商品が納品されるようなサービスはできないのか」という意見が寄せられた。新しいサービスはまさにこの提案を具現化したものだ。
贈り主が直販サイトで申し込むと、1週間前後で相手にメッセージ付きの目録が送られ、製品は完成後に届く。
バーミキュラを予約した顧客限定のメールマガジンも、顧客の声から生まれたサービスだ。「予約から製品完成までの期間、何の音沙汰もないと、本当に届くのか不安になる。生産状況を伝えてほしい」。納期が長くなるにつれて、こんな声が目立ち始めた。そこで、予約して納品待ちの顧客限定で、生産状況を毎月伝えるメールの配信を始めた。
メールは、「生産体制が整ったので、1カ月早く納品できる」といった生産状況を単に知らせるだけではなく、よりブランドや会社のことを知ってもらおうと、毎月1人の社員にスポットを当てて、商品に対する思いなどを記事にして送る。メールを配信すると、「どれも反響が多く、毎回何十通もメールが返信される」(土方副社長)と言う。
こうして、顧客の声に応えていった結果、とうとう出版事業にまで足を踏み入れてしまった。
写真撮影以外はすべて内製
愛知ドビーは11月26日に、バーミキュラを使ったレシピ集を自費出版して販売を始めた。同社は製品の配送時に、使い方やレシピを載せた取扱説明書を同封しているが、「もっとたくさんのレシピを見たい」という声が多かった。レシピであれば、通常レシピサイト「クックパッド」などを参考にすることが多いだろうが、「バーミキュラは特殊な鍋なのでクックパッドなどにも、それほど情報は載っていない」(土方副社長)。そこで、写真撮影以外はすべて内製でレシピ本を作りあげた。制作を担当したのは、前職で販促物の制作などを手掛けてきた経験を持つ、ブランド統括室の折橋みな室長だ。
レシピ本は1470円で「Amazon.co.jp」などで販売しているが、バーミキュラ購入者には無料で同梱する。しかし、それでは既存顧客の不満につながる恐れもある。そこで、レシピ本の内容を顧客専用サイトに掲載して、メールで約8万人の既存顧客に案内して、無料閲覧できるようにした。顧客の大半が直販経由がゆえに可能な対応だ。また、書籍の形で欲しい顧客へは525円で販売している。発売開始から2週間で6000冊を超える注文が舞い込んだ。
こうした顧客対応で満足度を高めて信頼感を醸成することが、新たな顧客の獲得につながっている。その結果、今では売上高の約8割がBtoC事業が占め、短期間での事業モデルの転換に成功した。