常に持ち歩くスマートフォンはCRM(顧客関係管理)の進化に欠かせないデバイスだ。こう考えるデジタルマーケティング先進企業が続々と、新たなサービスを開始している。顧客の深い理解がカギとなる「スマートCRM」実現への最前線を追った。
「6:4の法則」というものがある。「無印良品」ブランドを展開する、良品計画の社内で知られている法則だ。それはこんな内容である。
約400万人が登録する無印良品の会員組織「MUJI.netメンバー」のうち、無印良品のEC(電子商取引)サイトを過去2年間に利用した人は4割にとどまり、残りの6割は利用しない─。
「会員の母数がどれだけ増えても、この比率はほとんど変わらなかった」。良品計画の奥谷孝司WEB事業部長は、こう明かす。
購入額に応じてポイントを付与する会員カードを発行すれば、購買動向を把握できる。しかし、ポイント付与が実質的な割引となることを嫌った経営陣の意向もあり導入してこなかった。これらがボトルネックとなり、良品計画は本格的なCRM施策に踏み切れずにいたのだ。
ECサイトの利用者であれば、誰が、いつ、どの商品を購入したかまで精緻に把握できる。しかし、6割の会員個別の購買動向はほとんど分からなかった。そのためメールなどで、一律にクーポンを送るのがやっとだった。
だがこのところ良品計画で、CRMの“不在”が喫緊の課題との認識が広がっていた。その理由を奥谷氏はこう説明する。
「消費税の増税が迫っている。今後消費者の財布のひもが一層固くなる可能性は高い。ところが、無印良品に価格優位性はあまりない。そんな状況で売り上げを伸ばすには、本格的なCRMに取り組んで、顧客との関係性を強固にするしかない」
店舗だけを利用する会員も対象とした本格的なCRMの展開。その実現のために良品計画は、今までブラックボックスだった6割を含めた、会員の購買行動の精緻な把握に乗り出した。

良品計画が活用するのはスマートフォンだ。同社は、5月15日からスマートフォン向けアプリ「MUJI passport」の提供を始めた。「実利に結びつけられるアプリ」(奥谷氏)との期待を込め、開発費を投じて同社としては初めてAndroidにも対応した。アプリ提供開始から約3週間で、ダウンロード数は35万件を超えたという。このアプリを使うことで実店舗での購買行動も把握し、そのデータに基づき、顧客ごとにパーソナライズした情報の配信、関係性の強化に挑む。
MUJI passportは一言で言えば、アプリ化された会員カードだ。アプリを立ち上げると、画面の下部にバーコードが表示される。利用者は店舗で買い物をするときに、アプリに表示したバーコードを提示し、店員に読み取ってもらうことで、購入金額に応じて「MUJIマイル」というポイントがたまる。ちなみにマイルは、購買時に直接使えるわけではなく、ためたマイル数に応じて、ショッピングポイントなどが付与される仕組みだ。
アプリは、利用者が様々な情報をひも付けると、マイルがたまりやすくなる。例えば、MUJI.netメンバーの情報をアプリに登録すれば、ECサイトで購入したときに取得したマイルと合算できる。FacebookやTwitterといったソーシャルメディアのアカウントを登録すれば、良品計画が各ソーシャルメディア上で展開するキャンペーンに参加したときにも、マイルがたまる。
また、良品計画が発行するクレジットカード「MUJI Card」のカード番号を登録すれば、優良顧客と判断されて、よりお得なクーポンなどがもらえる。
良品計画では、こうしてオフラインとオンラインの購買行動、クレジットカード会員情報、そしてソーシャルメディアアカウントをMUJI passportというプラットフォーム上ですべてつなぎ合わせ、顧客の利用動向を一貫して把握する。このデータを用いて情報配信のパーソナライズ化を実現させる。
ポイント付与と情報配信を両立
会員カードのアプリ化は、極めて理にかなっている。常に持ち歩くスマートフォンにアプリをインストールしてもらうことで、会員カードを家に置き忘れる心配もなく、常に持ち歩いてもらえるのは言わずもがな。
紙の会員カードはポイント付与のための道具に過ぎないが、アプリならポイントを付与するだけではなく、クーポンや情報を届けることもできる。
例えば、MUJI passportは、ニュースやクーポンを配信するページを用意している。そして、アプリ起動中でなくてもスマートフォンのホーム画面に情報を届けられるプッシュ通知機能を採用しており、メール以上にリアルタイムな情報配信が可能だ。
アプリ利用者がプッシュ通知機能を停止したとしても、ポイントの確認や店舗での利用時に、配信した情報を目にする可能性は高い。ポイント付与と情報提供という両面を持った“ハイブリッド型”を実現できるのも、紙の会員証と比べたときのアプリの優位点だろう。
では良品計画は、具体的にどのような顧客の利用動向を用いて、配信する情報をパーソナライズしていくのか。例えば、よく食品を購入するような顧客に対して、食品が割引になるクーポンを配信するといった、王道的な活用法は当然実施していく。
優良顧客を優遇することも視野に入れる。最も優遇するのはMUJI Card利用者だ。同カードでは以前から、カードの購入額に応じて買い物に使えるポイントを提供してきた。わざわざMUJIブランドのクレジットカードを選ぶ人は、優良顧客と言えるだろう。クレジットカード番号をアプリに登録している会員には、ほかの会員よりも割引率が高い、あるいは利用期間の長いクーポンなどを提供する方針だ。
「購買データから、エバンジェリスト(アンバサダー)の発見につながる可能性もある」と奥谷氏は言う。例えば、よく商品を購入して、積極的にクチコミを発信してくれる人。そんな人を見つけ出し、直接アプローチをして、アンバサダーに任命する。そんな展開も視野に入れる。
また、先述した通り、MUJI passport利用者は、店舗やECサイトで商品を購入するとMUJIマイルというポイントがたまる。マイルは買い物をする以外にも、アプリ上でチェックイン(来店登録)することでもためられる。「来店情報は必ずしもSNSなどで共有してもらわなくて構わない。来店したという情報を得ることが重要だ」と奥谷氏。アプリ利用者ならチェックインした後の、レジ通過の有無も分かる。「購買前後の顧客時間を把握する」(奥谷氏)。そうして、購買に結びつけるための情報発信の参考情報にしていく。
顧客理解の道具としてのスマホ
MUJI passport利用者は、購買単価が平均の2倍という高い数値を示しているという。優良顧客が先陣を切ってダウンロードしていると考えるのが自然だろう。利用者が増えるにつれ、購買単価は下がってくるのは間違いない。ただ、「(CRMを実施することで)平均購買単価より高い状態を維持することは可能だ」と奥谷氏は意気込む。
パーソナライズされたクーポンの配信は秋口から取り組んでいく計画だ。「今は利用者を増やし、CRM施策に必要なデータをためている段階」と奥谷氏は言う。店舗での店員による声がけなどで利用者数を増やし、オフラインとオンラインの購買データをためながら、具体策のシナリオを練っていく。