企業が情報発信する際、最も自由に語れるのは経営トップだ。しかし同時に、社長の言葉は社内の誰よりも重く、また影響も計り知れない。上場企業であれば株価に影響し、中小企業であれば一夜にして企業そのものが窮地に追い込まれることもある。ソーシャルメディアを使って直接情報発信する社長は、そのリスクとメリットをどう捉えているのだろうか――。
日経BP社主催のイベント「モバイル&ソーシャルWEEK 2012」の最終日、ニューズ・ツー・ユーの神原弥奈子社長がモデレーターを務めた「特別対談、社長自らソーシャルメディア活用、その訳、効果、リスク管理は…」のパネルディスカッションには、湧永製薬の湧永寛仁社長、およびライフネット生命保険の出口治明社長というソーシャルメディアを積極的に活用する社長3人が登壇した。
現在、湧永氏は39歳、率いる湧永製薬の設立年は1955年。対して出口社長は64歳、ライフネット生命保険は2006年設立…。老舗の部類に入る企業を引っ張る30代経営者と、ベンチャー企業を引っ張る60代経営者という異色の組み合わせ。共にソーシャルメディアを始めるきっかけは他人からの勧めだった。

「2年ほど前に20代の社員がボクのところに来て、こう言うんです。出口さんの顔写真を使ってTwitterのアカウント取りましたから、今日からツイッターで日に5回つぶやきなさいってね。ボクはTwitterなんて知らないし、分からないって反論したら、黙ってやりなさいと指示されたんですわ(笑)」
Twitterを始めるユニークなきっかけを語った出口氏。ライフネット生命保険はベンチャー企業のため、多くの人に知ってもらうために、「10人以上集まればどこにでも講演に参ります」と、かねてうたってきた。
Twitterで「今から講演しますよ」とつぶやくと、「本当に10人以上なら講演してくれるんですか?」という問い合わせが入り始める。そのうち、「この保険をこういう風にしてほしい」といった商品に対する要望まで届くようになったという。

対する湧永氏は、「私はもともとソーシャルメディアに対して否定的だったんです」と明かした。
その理由は米国出張時の機内で米フェイスブックの創業期を描いた「ソーシャル・ネットワーク」を観たからだという。「ハーバード大学在学中にハッキング? そんなのが社長やってていいのかと正直思いました」と湧永氏。
それでも、マーケティングに活用できるのかもしれないと思い、ソフトバンクの孫正義社長のTwitterを見にいったら「これがひどい」。かつて同社で働いた経験のある湧永氏にしてみれば、「あの(おそれ多い)孫社長に対して、この人たち何を言ってるんだ? と思いました」。言いたい放題のソーシャルメディアの世界に飛び込むのは到底無理だと感じたという。
しかし、湧永氏の友人が「必ずプラスになるから」と再三ソーシャルメディアの活用を勧めてくる。そこで湧永氏は、とりあえず顔写真も載せないままFacebookを昨年2月から始めた。

すると普段会っている友人に加えて、10年前、20年前の友人からも友だちの申請が届く。全く知らない人からの申請も届き始める。湧永氏は、その「人と人のつながり」に、会社と顧客の関係を見た。
「普段から我が社の製品のファンの人たちがつながってくれる。昔、何かの縁で弊社製品に接してくれた人との絆が復活するかもしれないし、全く接点がない人にもリーチできるのかもしれない」。それが本格的にソーシャルメディアを通じて情報を発信しようと思ったきっかけだったという。
社長の感覚はズレていく
コンサルティング会社のループス・コミュニケーションズが今年2月27日に発表した「企業のソーシャルメディア活用想起調査」で、ライフネット生命保険は10位にランクインした。同着10位には「アップル」「コカ・コーラ」「ファミリーマート」「スターバックス コーヒー」といった名だたる企業が名を連ねた。
「親会社もいない独立系の生命保険会社が、どうしてまたそうそうたる大企業と並んでいるのか」と出口氏は調査結果を見て驚いたという。「とにかく、やれと言われて始めたTwitter。トライ&エラーでやってきて今に至る」と出口氏は語った。
ただ、実際の運用を聞けば、どれだけ真摯に取り組んでいるのかが分かる。「Twitterでフォローしていただいた方には、基本的にはフォローを返す。ダイレクトメッセージ機能でなるべくフォローの御礼を書いている」(出口氏)。当然、上場企業の社長からダイレクトメッセージが届けば、それを疑う人もいる。「これ社長じゃないですよね、自動返信ですよね、秘書が書いているんですよね、などと言われてしまうが、私はリテラシーが高くないから自分で返している。移動中の時間を使ってね」。
湧永氏もまた社長自らが取り組むべきだという。「社長がソーシャルメディアを使う上で、会社として想定するリスクは大きく2つある」と湧永氏は語った。1つは「炎上」、もう1つは社長自身にダイレクトに質問が入ってきて対応を誤ると、また炎上につながるという2つだ。だが、その2つの理由があるからこそ、社長自身が取り組むべきと湧永氏は言う。
「(ソーシャルメディアを)活用しようがしまいが、炎上リスクは常に存在する。むしろ社長が積極的に情報発信した方が炎上リスクは減る。また正直、社長に対しては、周囲が気を遣って意見を言わなくなるため、いつの間にか自分自身の感覚が狂ってくる。ソーシャルメディアを使えば毎日その“ズレ”の調整ができる。感覚を調整しないまま情報発信するほうがよほど危ない」(湧永氏)という意見には、一定の説得力がある。
社長は往々にして「裸の王様」になりがちだ。だからこそ顧客、消費者、世間とのつながりを持ち続けることが必要になってくる。小さなリスクと大きなリターン。社長としての判断は分かれるだろうが、ライフネット生命保険、湧永製薬の両社長は「とにかく始めて」「トライ&エラーを繰り返し」「真摯に声を聞く」ことで、大きな手応えを得ているのは確かだ。
モデレーターを務めた神原社長は2人の話を受け、「今後は社長の発信力が企業の命運を分ける」とパネルディスカッションを締めくくった。
攻めるために作るガイドライン
「個人向けソーシャルメディアガイドライン策定後1年間で、社員個人のソーシャルメディア活用率が1.3倍に向上しました」
住友スリーエムのマーケティング本部eビジネスグループの秋本義信氏は、昨年8月に策定した同社グループ社員・関係者向けソーシャルメディアガイドラインの導入効果をこのように語った。同社の場合、社員の年齢構成比は40代が約4割を占める、BtoB(企業間)ビジネスが主軸の非IT企業ながら、この1年間でFacebookを利用している社員の比率は20%弱から40%へと倍増したという。

講演でのこの発言内容から、同社のガイドラインが単にソーシャルメディアにまつわるリスクを恐れて利用を規制するのではなく、むしろ積極活用を促すための基本ルールとして策定したものであることがうかがえる。
昨年2月に公式Twitterアカウント、同4月に公式Facebookページを開設した同社が、ガイドライン策定に取り掛かったのは同6月から。その2カ月後の8月末に、同社Webサイト上での公開に踏み切った。ちなみに米3Mでも個人向けはなく、日本独自の取り組みである。
策定の背景として秋本氏は、「1つはFacebookという実名SNSの普及でリスクが高まると共に、それが過度な不安感となって利用を自粛してしまうこと。もう1つは公式アカウントの活性化のためにソーシャルメディア連携キャンペーンを増やしていくに当たって、それを盛り上げていくリテラシーが社員に不足していること」の2点を挙げた。
リスク回避はもちろんだが、目指す方向は、社員にソーシャルメディアの個人利用を促してリテラシーを高めてもらい、公式アカウント発のキャンペーン企画やお知らせなどについて、社員の立場を明らかにして拡散することで、ソーシャルメディアのビジネス活用効果を高めていくことにある。
策定に当たっては、関連セミナーに参加したり、既に社員向けガイドラインを公開している企業から共通している内容をピックアップしたりといった情報収集からスタートした。ガイドラインの文面について秋本氏は、「『○○○禁止』といった“べからず集”や“命令調”を避け、『守りましょう』といった前向きな表現で積極活用を後押しするよう心がけた」という。そして社員が高い意識を持ってガイドラインに基づいた活動をするよう、コミットメントとして社外に公開することにした。
社内ではガイドラインに続いて、万が一のソーシャルメディアトラブルに備え、危機管理体制の整備にも取り組んだ。既に工場の火災事故などさまざまなリスクを想定した危機管理マニュアルがあり、その対応フローを基にソーシャルメディアリスクについても、連絡の順番や判断の責任者を明確にした。
秋本氏は「ソーシャルメディアのトラブルへの対応はスピードが勝負。例え『詳細は調査中』という内容であっても、何らかのメッセージを発することが重要。発生から4時間以内のステートメント掲載が目標」とした。
こうした体制が整ったことで、狙い通り同社社員はソーシャルメディア利用を萎縮することなく積極活用に転じている。前述の通り社員のFacebook利用率は4割に達し、「LINEの利用率が15%で、mixiを超えた。Google+も10%超。“中年層”が多い会社としては頑張っていると言えるのではないか」と秋本氏はガイドライン策定の手応えを語った。
「ソーシャルメディア連携キャンペーンは昨年の2件から、今年は予定も含めて13件と大幅に増えている。今後は各製品ブランドの管轄部署からアカウントを開設したいという要望がもっと出てくることを期待したい」(秋本氏)と語っていた。
野村総合研究所の上級コンサルタントという立場で、広く社外に向けた指摘を交えて個人情報とプライバシーについて講演したのが、同社ICT・メディア産業コンサルティング部兼未来創発センター金融・社会システム研究室の小林慎太郎氏だ。講演タイトルは「ソーシャルメディア時代のプライバシー、「個人情報」から「プライバシー」保護へ」。
急成長ゆえに生じるプライバシーリスク
ソーシャルとモバイルの領域は、次なる成長領域として期待される一方、プライバシーへの対処が大きな課題の1つだ。個人情報保護法の施行前からこの分野に取り組んできた小林氏は、現状を「『スマホショック』と言われる2011年から、急速な勢いでスマートフォンが普及し、かつてないほどインターネットが身近になった。同時に、個人情報だけでなくプライバシーにも真剣に向き合わなければならない状況にある」と見る。

そもそも、個人情報とプライバシーの違いとは何か。小林氏は、まず「個人情報」「個人に関する情報」「プライバシー」の定義と、それらの違いについて説明した。
「個人情報」とは、個人情報保護法の定義によれば「特定の個人を識別できる情報」で、その人の氏名や生年月日が含まれる。個人情報には該当しないものの、より広範囲な「個人に関する情報」が存在し、「プライバシー」はその中で私事や私生活に関するものを指す。
個人に関する情報には、例えばWebサービスを利用した際のIPアドレスや行動履歴などが含まれるが、これらは個人情報には該当しないものと捉えられていた。ところが、スマートフォンやアプリが高度化し、ソーシャルメディアの利用が広がる中で、膨大なデータの収集と分析によって個人の特定が可能になった。
そして、これがプライバシーの侵害にも及んでいる。つまり、ネットにおける個人の情報発信の意識の変化とテクノロジーの進歩が、従来の法律では対処できない事態をもたらしたといえる。
実際、2011年には国内でもスマートフォンアプリを使った利用情報の収集を巡る事件が頻発した。「カレログ」や、ミログが提供していたAppLogを巡る騒動は記憶に新しいだろう。海外でも同様に、Google BuzzやFacebookでプライバシー侵害の論争が起きている。
小林氏は、「日本の事件は過渡期ゆえに生じたもので、セキュリティ対策の普及によって解消される。ところが、米グーグルや米フェイスブックなどの米国企業は、プライバシー保護の法的、社会的な規範が曖昧な領域へ挑戦してビジネスを拡大している」と日米では性質が異なるものであると指摘。さらに「日本企業はプライバシー侵害リスクを懸念するあまり、事業機会を損失してはいないか?」と懸念を示す。
自主規制を基本とした取り組みが重要
萎縮し過ぎず、新しいビジネスとして育てるにはどうすべきか――。
小林氏は、日米欧のプライバシーに関する規範の起源や意識の違いを踏まえたうえで、今後日本の企業が対応を求められる重要な論点として、「行動ターゲティング(個人に関する情報の収集の利用)」「プロファイリングや個人データ売買の取り締まり」「子どもの保護」の3つを挙げる。いずれも欧米では対策や法整備が進んでおり、日本企業も自主規制などによって早急に対応していく必要がある。
これらを踏まえて小林氏は、ソーシャルメディア時代におけるプライバシー保護を実現するための具体策を5つのポイントで示した。
1つ目は、「コンテクスト(脈絡)に沿って、ユーザーが期待する(ユーザーが驚かない)情報の取得、利用と提供の範囲を評価する」というもの。これは、個人の主観的な判断もあるため難しいが、サービス提供者は自ら評価しなければならない。全員とはいかなくても、ユーザーの70%程度の同意が得られるものを「コンテクストに沿った利用の範囲内」とし、さらに保護のレベルを何段階か用意して設定できるようにする。ただし、設定が細か過ぎても問題で、機械的に対処する仕組みも必要とした。
2つ目は、「事前評価によるリスクの特定、最小化」だ。サービス開始に当たり、発生しうるプライバシー侵害の可能性を、事前評価して最小化する取り組み(プライバシーバイデザイン)を実施する。その際の実践手法として、「プライバシー影響評価」(PIA)が活用できる。
3つ目は、「ポリシー中心の自主規制と第三者チェックによる実効性担保」、つまりプライバシーポリシー表示の適正化だ。利用規約での表示が不十分だったせいで起こった侵害事件もある。この点を重視するなら、プライバシーマーク付与事業者以外でも、第三者機関によるチェックを検討すべきだろう。
4つ目は、「若年層、特に子どものプライバシー保護とリテラシーの向上」だ。米国と欧州連合(EU)は、13歳未満の子どもによるネット利用には、保護者の同意取得を求める方向で足並みがそろいつつある。日本では明確な法制度はないものの、一部のソーシャルメディアでは子ども向けのツールを提供するなど対策されつつある。
5つ目は、「公的な指針やガイドラインの活用」で、既に総務省から「スマートフォン利用者情報取扱指針の基本原則」が公表されている。これは、原則は示しつつ、業界や事業者の自主規制を促すものだが、最初のよりどころとして大いに参考になるだろう。
小林氏は最後に「今年はプライバシー元年という様相を呈している。ソーシャルメディアとモバイル市場が今後発展するためには、『プライバシーの保護』に対する自主的な取り組みが重要になる」と講演を締めくくった。