「ケータイでモノが売れるわけない」
10年前、“業界”ではこれが常識だった。ところが、携帯電話契約台数の増加やパケット定額制の普及などによりモバイルEC(電子商取引)市場は2004年以降、前年比で2桁増の成長が続く。
しかし、従来型の携帯電話を使ったECは様々な弱点を抱えている。掲載する情報量が少なく紹介できる写真点数に限りがある。その写真も低画質といった具合だ。そのためパソコンサイトと比較して1回当たりの商品購入点数は少なく、高額商品は売れにくい傾向にあった。
この弱点を克服できる可能性を持つのが、モバイルとパソコンの両方の特性を持つスマートフォンだ。この新しいプラットフォームでどのようなEC戦略を取るべきかは、スマートフォンの特性をどう捉えるかにより異なる。
いつでも目の前にある“24時間30cm以内”のモバイル端末の延長上にあると捉えれば、企業は「提案型」(プッシュ型)のサービスをするのが適する。モバイル端末は目の前で使うので利用者の視界を独占する。使ううちにパソコン以上に没頭してしまうため、衝動買いを誘いやすい端末といえる。一方でパソコンに近い画面サイズ、一覧性、高い操作性を生かすなら顧客による「検索型」(プル型)が向く。
これに加えて、パソコン類似のサービスを提供する「PC拡張型」か、独自性を追求する「アプリ独自型」か、という項目を基に4つのグループに分けたのが左図だ。そこに各社のスマートフォンコマース戦略が見えてくる。
スマートフォンコマース市場の攻略を目指す先進企業の取り組みを、本特集では提案型、検索型に分けて紹介していく。

衝動買いを期待するには、ある程度、サービス範囲や顧客層を絞り込んだ方がいい。アパレル、若い女性にターゲットを絞って、企業からの提案型でスマートフォンコマースを展開するのが、カタログ通販大手のニッセンだ。顧客同士が洋服のコーディネートを“提案”し合うことで、トータルコーディネートでの商品購入を促し、次のフェーズで人気コーディネートを会社からの提案に採用していく。
タップ操作で自在に着せ替え
「当社のモバイルECの売上高は、自社ECサイトの売上高を公表している企業の中では最も高い」
こう語るのは、同社マーケティング本部WEBマーケティング部モバイルチームの神徳昭裕マネージャーだ。
2010年度のネット経由の売上高は前年度比で6%増の647億円と堅調だ。とりわけ、モバイル経由での売上高は同12%増の188億円(カタログ申込番号を入力した注文も含む)に達した。カタログ通販も含む売上高全体が同2.9%減の1373億円と落ち込んだだけに、モバイルECの好調さは際立っている。来たるべきスマートフォン時代に向け、同社が対応を強化するのは当然ともいえる。
ニッセンはiPhone向けに4つのアプリを提供している。カタログをデジタル化した「ニッセン スマートカタログ」、商品検索アプリの「nissen shopping search」、商品を動画で紹介する「nissen TV」、そしてアプリ上に表示されたマネキンを自分好みに着せ替えられる「nissen Virtual Coordinate Room(VCR)」がそれだ。
機能を切り分けてアプリを配信するのは、「目的別に提供した方が、どのアプリへの反応が高いか分析しやすい」との狙いがある。
その中でも期待を寄せるのが、着せ替えアプリのnissen VCRだ。ダウンロード数こそ約2万3000件と検索アプリの約9万件に劣るが、神徳氏はECの新たな可能性に期待を寄せる。ニッセンの様々な商品をマネキンに試着させることで、自分好みのトータルコーディネートで商品を購入する人が増えれば、購入単価の向上を見込めるためだ。
アプリ利用者は「帽子」「スカート」といったカテゴリーから好きな洋服を指でタップして、画面に表示されたマネキンに重ねれば、自分好みに着せ替えられる。ニッセンが販売する商品のうち約500点が対応しており、そこから自由に選んで着せ替える。

もし、従来型のケータイの主流であるテンキー操作で利用しようとすると、カテゴリーと500点の商品を行き来するだけでも疲れてしまう。タッチパネルが主流のスマートフォンならではのアプリといえそうだ。
現時点では着せ替えアプリにとどまるが、7月中にもユーザー同士でコーディネートを提案、評価し合える機能が加わる。この企画は既にパソコンサイトでは始まっており、これをアプリでも利用可能にする。
「こちらからコーディネートを提案するだけではなく、顧客が作ったコーディネートを使うことで提案の幅が広がる」(神徳氏)という狙いから開発した機能だ。
画面に表示されたマネキンを着せ替えてコーディネートを作り、アプリ上の投稿ボタンを押すと、自分で作った作品を投稿できるようになる。アプリ利用者は気に入った投稿に投票することもできる。そして次のフェーズとして、人気コーディネートをニッセンのECサイトなどでも紹介し提案していく予定になっている。
投稿・投票には「Twitter」のアカウントが必要となり、投稿・投票すると同時に、利用者のTwitterを通じてフォロワーへ告知される。友人が作ったニッセン商品のコーディネートをTwitterで知り、それが気に入って購入する流れが生まれることをニッセンは狙っている。
nissen VCRような遊び心のあるアプリこそゲームやコミュニケーションを楽しむスマートフォン上でのコマースの主流となる可能性も秘めている。
テレビ通販、なのに“ついで買い”
テレビショッピングで成長を続けるQVCジャパン(千葉市美浜区)はパソコンサイトとは異なる、独自路線のアプリを追求する1社だ。テレビ離れが進む若年層を、スマートフォンコマースの顧客ターゲットに据えている。

iPhoneとAndroid向けのアプリ「QVC iShop」は、24時間365日生放送するテレビ通販番組「QVC TV」を、アプリの初期画面からすぐ視聴できるようにしている。パソコンでの利用と違って、外出先でもショッピングができるのが特長だ。自ずと、アプリ独自路線という戦略を取ることになる。
スマートフォン向けアプリでは、番組動画をスマートフォンの上部画面で見ながら、下部画面に表示される商品情報を閲覧する。買いたければ、そのままカートに入れて即座に購入できる仕組みだ。究極のプッシュ型通販であるテレビショッピングをスマートフォンに持ち込んだ。
「視聴者の目に商品がより魅力的に映るような動画制作のノウハウこそ、当社の強み」と語るのは、コーポレート・コミュニケーション&ストラテジー部門の伊東雄一郎ディレクター。だからパソコンサイトをスマートフォンに最適化したような通販アプリではなく、持ち味を生かせる通販番組の生配信にこだわった。
リアルタイム動画の配信は、従来型のケータイでもできる。しかし、従来型ケータイ向けアプリでは、商品を買う段階になると、一度ケータイ向けサイトに移動してしまう欠点があった。
「当社のようなビジネスでは情緒に訴えかけて衝動的に買わせる必要もあるんです」と、伊東氏は言う。せっかく「欲しい」と思ってもらえたのに、一度アプリを閉じて、そしてケータイサイトに移動して…。
こんな動作をしている間にユーザーの気持ちは冷静になり、「やっぱり買うのはやめておこう」と離脱してしまうことも多かった。スマートフォンなら、番組を見ながらアプリ上で商品をカートに入れてそのまま購入できる。
放送の現場は、商品の注文件数がグッと伸びた瞬間の司会者のフレーズをプロデューサーが見つけては、それを繰り返すような、細かな作業の積み重ね。その臨場感が、スマートフォンなら再現できる。
さらに、「テレビではできない“ついで買い”を促せるのが、アプリのポイント」と伊東氏。最初の画面では、動画の下に番組で紹介中の商品を表示しているが、商品情報の部分を指でスクロールしていくと、関連商品が表示される。放送後の番組も「最近オンエアした商品」から動画を見て購入できる。こうして、テレビ放送では難しい、ついで買いを促せるはず、と踏んでいる。
提案型ではこのほか、スタッフのコーディネート写真を紹介する、ポイントの「Daily Styling」などアパレル業界が先行しているが、今後、他の商材への波及から目が離せない。
……後編「利用者による検索型(プル型)」へ続く