ソーシャルメディアを使ったマーケティングは、BtoB(企業間取引)企業とは無関係。そう思われがちだが、少し視点を変えれば、十分に有効活用できる可能性もある。自社の顧客、あるいは見込み客が参加するソーシャルメディアを見つけ出せばいい。

医師専門SNSのMedPeer

 それを実践しようとしているのが、米製薬大手メルクの子会社である万有製薬とシェリング・ブラウが経営統合してできたMSDである。メドピア(東京都港区)が運営する医師専門というクローズドSNS「MedPeer」と協力しながら、MSDが持つWebサイトの製品情報をMedPeer上に簡単に投稿できる仕組みの開発を進めていることが本誌の取材で明らかになった。年末ごろの稼働開始を目指している。

 MedPeerは、日本の医師の6人に1人が会員登録している巨大なクローズドSNS。そこで話題になれば、一気に多くの医師にアプローチできる。医薬情報担当者(MR)を中心とした、昔ながらのマーケティング活動が大きく変わる可能性がある。

医師専門SNSとの連携強化

 2007年8月に開設されたMedPeerは、約3万7000人の利用者を抱える。本人確認を徹底することで、“医師専門”を維持している。

 具体的には、医師からこのSNSへの登録申請を受けたら、メドピアがその医師の勤務先に登録情報をファクスなどで送り、確認ができた時点でようやく利用可能になる。

 よく利用される機能は、「医療系掲示板」と「薬剤評価掲示板」の2つだ。医療系掲示板は、利用者の専門科目以外のことに関して情報を知りたいときや、症例に対する意見交換などに使われている。例えば、耳鼻科の医師が知り合いから脳に関する相談を受けて、脳外科の担当医に掲示板で相談するといった感じだ。

 一方、薬剤評価掲示板は医師による「薬のクチコミ評価」と思ってもらえばいい。約700ある薬剤に対して、薬剤の効果や副作用に関するクチコミが、それぞれ約100件ずつ投稿されている。

 MSDがメドピアと協力しながら開発を進めている機能は、「Facebook」のシェアボタンのようなものだ。MedPeerの掲示板などにMSDのサイトの製品情報や写真などを、簡単に投稿できるようなボタンになるようだ。開発元はメドピアになるため、MSDはアドバイスをするものの、開発したボタンはほかの競合製薬会社も利用できる。

 MSDのマーケティングオペレーション・コマーシャル戦略コマーシャル戦略グループコマーシャル戦略スペシャリストの木村尚美氏は、「医療関係者向けのサイトに『ボタン』を設置して、医師同士の情報交換をスムーズにできるようにするのが狙い」と語る。

 もちろん、今でもサイトのURLや製品情報などを、医師が掲示板投稿時にしっかり書き込めば、それを基に情報交換はできる。ただ、それなりに手間がかかる。MSDのサイトに製品に関するボタンを置けば、それをクリックするだけで済むため、情報交換が活性化する可能性が高まるわけだ。

囲い込みより既存コミュニティーに協力

 「医師を囲い込むのではなく、専門家の間で情報を広げてもらう。それが重要」と木村氏はみる。厚生労働省の「医師・歯科医師・薬剤師調査」によれば、日本の医師は約28万人いる。見込み客、顧客が限られるだけに、自社で医師を囲い込みたくなるのが企業の心情だろう。

 とはいえ、MSDのサイトに医師を呼び込み囲っていっても、そこにはMSDという色がつき、活発な議論や情報交換が起こるとは考えづらい。既に活発に利用されているコミュニティーに、MSDが協力していく形の方が得策と木村氏は考えた。

 医師の専門ネットワークとの連携を強化できれば、営業コストの削減にもつながる可能性がある。

 医薬品のマーケティングといえば、担当する病院をMRが訪れて、医師に対して製品を説明したり、紙のチラシを渡したりといった従来型の営業スタイルが今でも中心となっている。しかし、MRによる営業は人数や時間が限られる上に、忙しい医師に時間を割いてもらうのも難しい。

 ネットを使ったマーケティングはどうか。「医療関係者は医学生の頃からメーリングリストで不特定多数に質問をするといった文化が根づいている」とメドピアの石見陽社長はいう。

 そのため、MedPeerのユーザーに向けてアンケートを実施すれば、24時間で約1000件は容易に集まるほどだという。つまり、MedPeerで話題になれば、一足飛びに数千人の医師へのアプローチが期待できる。

医師はアップル製品がお好き?

 専門SNSの活用でマーケティングの効率化を目指すMSDはまた、自社でも医師向けに新たなデジタルツールを提供することで、マーケティングの効率化を図っている。

 この3月にアップルの「iPad」と「iPhone」向けに提供を始めたアプリ「MSD製品」もその1つ。これは、毎年発行しているカタログをアプリにしたものである。

医療関係者向けにiPadとiPhoneで利用できるアプリを提供

 検索のしやすさを重視して作られており、50音順、薬効別、疾患領域別に製品を検索できる。詳細な情報を見る場合には、アプリ上の薬ごとのページに張られたリンクからMSDのWebサイトを訪れる。

 紙のカタログと大きく異なるのは、新製品を随時追加していける点だ。追加した情報は、アップルのアプリ販売サービス「App Store」を通じて通知できる。「小さいながら、医師にアプリを通じて直接プッシュできるのは、今までとは違うアプローチ」と木村氏は説明する。

 新製品の発売時に、自社サイトに情報を拡充したとしても、すぐに見に来てもらうのは難しい。が、ほかのアプリの更新と合わせて、MSD製品のアップデートが通知されれば、ついでに何が追加されたのかと見てもらえることも期待できる。

 アプリの提供先として、普及が急なAndroid搭載端末ではなく、iPad、iPhoneを選んだのにも理由がある。医師はアップル製品を好む傾向がある、と同社が分析した結果だ。

 例えばMSDのWebサイトは、「一般の人向けのサイトにアクセスしてくる9割が『Windows』だが、医療関係者向けのサイトになると、アップル製パソコンが過半になることもある」(木村氏)。

 今後は、例えば高血圧の患者などの食事療法に必要なデータを簡便に計算できるツールの追加を検討しているという。カタログによる情報提供と実用的な機能の追加という両輪で、繰り返し使ってもらえるアプリへと完成度を高めていく考えだ。