旅行会社大手のエイチ・アイ・エス(HIS)は今年1月、Webサイトを通じた予約件数が前年同月比10%増、サイト訪問者が購入するコンバージョン率(CVR)が同40%向上と大きな成果を収めた。背景には、昨年12月に実施したWebサイトの全面刷新がある。これは1996年の開設以来で初めてのことだった。実現までにはHISの「組織」、そして業界の「常識」という2つの壁を乗り越える必要があった。

 刷新前のHISサイトでは、一般に「グローバルメニュー」と呼ばれるサイト名直下にある誘導メニューに「東京発」「北海道」「東北発」…、と地域名が並んでいた。例えば大阪在住の人がサイトにアクセスして関西国際空港発の海外航空券を検索、購入するには、まず「関西発」をクリックして、そこから商品を探す流れだった。

リニューアル前のHISサイトは地域別の構成になっていた

 グローバルメニューはWebサイト内では常に表示し、サイト内の主要コーナーへ誘導する重要なもの。しかし、「地域」は一度クリックすればもう押すことはない。グローバルメニューとしては不適切なものだった。

 グローバルメニューがこうした並びになっていたのには訳がある。社内組織を反映したものだったのだ。サイト刷新を担当した事業開発室の山岡隆志室長はHISの組織を、「いい意味、悪い意味の両面で独立採算の縦割り型」だと語る。各地区の営業本部は、独自に旅行商品の仕入れ、企画、宣伝、販売サイトの作成をして営業成績を競い合い、切磋琢磨していく。

 それがそのままWebサイトのメニューとなっていたため、顧客にすれば使いづらい。刷新時には、初めて利用する人が地域を選ぶと、再訪問の際には自動的にその地域で販売する商品を表示するように改めた。それぞれの営業本部が商品を企画する体制に変わりはないが、サイトのデザインや使い勝手は共通化し、グローバルメニューは「海外航空券」「海外ツアー」「国内旅行」などの取扱商品カテゴリーに変更した。

 首都圏以外の地域のユーザーにとっては最初の1ステップが減ったため、「地方では予約数が30%は上がっている」(山岡氏)。その一方で、グローバルメニューを取扱商品別にしたことで、サイトの第2階層となる「海外航空券」などの商品別トップページのアクセス数も大きく向上したという。

成長株のWebサイトを刷新するリスク

 サイト刷新のプロジェクトが始まったのは昨年1月のこと。各地域で独自デザインだったものを共通にするという「横串を刺すプロジェクトの遂行は一般企業以上に大変だった」と山岡氏は振り返る。企業サイトは広報が会社概要、経理がIR、各事業部が商品情報など組織別に運営するコーナーが分かれているのが一般的だ。HISは組織ごとの競い合いという良さを生かしつつも、顧客視点を取り入れたことが今回のサイト刷新の第1のポイントとなった。

 HISは店舗での売り上げが過半を占め、パソコン向けサイト、モバイル向けサイト、コールセンターを含めたオンライン部門はまだ売り上げの一部にすぎない。一方で、店舗売り上げは現状維持が精一杯なのに対し、オンラインは2桁の伸び率で成長をしている。

 サイト刷新はそれをさらに伸ばす好機だが、使い勝手が変わるとユーザー離れを招くリスクともなる。ネット販売が会社全体に貢献することへ期待が高まる中、山岡氏は使い慣れたユーザーへの配慮と使い勝手の向上との間で、微妙なかじ取りを求められた。

 山岡氏は、「旅行会社のWebサイトは概ね似通っている」と指摘する。トップページは3段組のレイアウトで、中央の段の上部に告知バナーを置くのが一般的だ。しかし、以前からHISサイトのトップページは異色だった。旅行パンフレット、折り込みチラシ風に「1.98万円!」など低価格を訴求する旅行商品のアイコンが所狭しと並ぶ。HISの元気さが伝わる半面、「アイコンそれぞれが自己主張しているため、どこに何があるかが不明確」なのが弱みと山岡氏は考えていた。

 事を慎重に進めるなら従来の路線を続けるか、競合の旅行会社をまねるのがよい。しかし、山岡氏はどちらの策も取らなかった。

 刷新のポイントは、航空券購入など目的を持ってサイトを訪れる人に向けた「プル」エリア、旅行先をなんとなく探している人に情報を提案する「プッシュ」エリアを明確にすることにした。

 プルエリアは、ページ上部の左側に新設した海外航空券、海外ツアーの検索ボックスだ。元々HISの売り上げの大半はこの2商品であり、目立つ位置に配置したことで利用が大幅に伸びたという。その下には、海外航空券の販売ページへのリンクを目的地別に並べた。デザインをシンプルにしたことで逆に目立つようになり、こちらも利用が大きく伸びた。

 一方のプッシュエリア。グローバルメニューの直下には、キャンペーンや新商品を告知する横長のバナー画像を入れた。以前よりも大型にしたことで、旅の楽しさを十分に表現できるようになった。バナーの下にシンプルなテキスト領域を設置したことで、デザインにメリハリが付きバナーのクリック率(CTR)も向上しているという。

昨年12月にサイトを全面刷新しグローバルメニューなどを変更

 そしてHISの独自性を表現するのが、折り込みチラシ風の商品アイコンを1行に4つ並べた部分。左のメニューと合わせて5段構成になっているため、多くの情報量を確保できる。同時に、旅行会社の「常識」を越えたデザインを印象づけている。派手な色合いの画像を減らしたことでコーポレートカラーの青が際立つようになり、HISらしさも増したという。

ネット制作チームを配置して事業開発を強化

 サイト刷新による売り上げ減少のリスクを減らすため、トップページのデザインは10回以上練り直した。昨年11月にはベータ版として公開して利用者アンケートを実施し、約2000人から回答を集めた。山岡氏「がっかりという意見が多ければ根本からカットオーバーの日も変えようと思った」と振り返る。

 こうして迎えた12月10日の刷新。予約数は「実施したフェアの影響も大きいが1月は前年同月と比べ10%はアップしている」(山岡氏)と言う。CVRは40%も向上するという大きな成果を得た。

 航空各社のネット直販の強化や、宿泊予約サイトといったネット専業会社の台頭など、旅行会社を巡る経営環境は厳しい。その中、HISは2009年9月に山岡氏が室長を務める事業開発室を新設してサイト刷新の陣頭指揮を執らせた。HISは1980年の創業で、昨年10月に「会社の寿命」ともいわれる第30期を終えた。

 そして、次の30年を見据える第31期のスタート時に、14年ぶりにサイトを全面刷新した。この1月には事業開発室の下に、以前からあったリアル系のマーケティング戦略とeビジネス戦略に加えて、ネット系のマーケティング、制作、運用のチームを置いて、同室を強化した。HISのデジタルメディア、デバイスを活用した新規の事業開発は今後本格化しそうだ。