「話が来たのは2009年夏、中国の販社から『すぐ、全部やりたい』と連絡がありました」
キヤノンのコーポレートサイトを担当する広報メディア部の村上潤一部長は、2009年11月に公開したWebサイト「キヤノンカメラミュージアム」中国語版の制作のきっかけをこう振り返る。

カメラミュージアムは、キヤノンが開発・販売してきた全機種に当たるカメラ711機種、レンズ302機種を紹介するネット上の仮想博物館だ。デジタルカメラのデザインができるまで、あるいは製造工程などを紹介する動画コンテンツも配信している。「キヤノンの歴史ある製品を全て紹介することで、重みのあるブランドであることを理解してもらい、次の製品購入のきっかけにしてもらう」(村上氏)という、直接的な販促ではなく、企業ブランドへの理解を深めてもらうためのコンテンツだ。
中国法人から開発の打診があった2009年半ば、中国市場はリーマンショックからいち早く立ち直りつつあった。中国のデジタルカメラ市場は2009年初めに、初めて縮小するとの予測があったが、年の後半には販売額が35%増加と大きく上方修正された(中国の業界団体、中国電子商会の予測)。世界最大の「工場」ではなく最大の「消費市場」になるとの認識が一層強まった時期だ。
日本以上にブランドを重んじる中国
実のところ中国では、日本以上にブランドの価値は重要なようだ。書籍『中国で儲ける』著者の田中奈美氏は言う。「メンツやステイタスが重視される中国では、誰が見ても価値が明確なブランドの消費性向は、恐らく日本以上に大きい」。中国でキヤノンのブランドを強化するために、カメラミュージアムという構想が浮上したというわけだ。
「すぐに、全部やりたい」といっても、日本語版カメラミュージアムは1996年の開設以来、14年以上かけてコンテンツを拡充してきたという代物。「そのボリュームは我々でも分からないほど」(村上氏)という膨大なものだ。
とはいえ、急成長する中国市場で2017年に100億ドル(約8200億円)の売り上げを目指すキヤノンにとって、現地での市場開拓は最優先の課題だ。17万作品の応募があった「キヤノン感動典蔵フォトコンテスト」の表彰イベントに合わせて、ミュージアムの開設を発表したいという現地法人の要望に応えたいという思いも、村上氏にあった。
日本語、英語の両方から中国語へ翻訳
そこで全勢力を上げて取り組むこととなる。翻訳という最も重要な作業は、中国にあるグループ会社に委託した。日本語からだけではなく、一部は英語版サイトから中国語へ翻訳することで、翻訳スタッフをフル活用した。タイトなスケジュールの中でも、「正確で自然な表現で格調高く、そして雰囲気を壊さない表現」(村上氏)を目指して、中国の広報担当、カメラ担当など何重ものチェックを施し、さらに翻訳会社に戻していった。
制作は日本で行った。不幸中の幸いとなったのが、日本はリーマンショックの余波からWeb制作分野の受注が落ち込んでいたことだった。制作会社にも無理が利き、11月のオープンに間に合わせることができた。通常なら1年はかかる作業量だが、2~3カ月という短期間に実現できたという。
カメラミュージアムは開設早々から人気を集め、2010年のPV(ページビュー)は150万に達した。日本語版の700万PV、英語版の1000万PVには及ばないが、「急速に立ち上がっている」(村上氏)。特に、旧暦の正月で中国の休暇時期に当たる春節は、通常期の2倍のアクセスがあった。休み中に見られるということを、「娯楽として見てもらっている」(村上氏)と受け止めている。
今後、中国語版では四半期に1回のペースでコンテンツを更新して、日本語版との差を小さくしていく。村上氏は「ネットが無かったころからブランドが形成された日本と異なり、中国ではネットでキヤノンを知る人もいる。Webコンテンツは日本以上に重要だ」と語る。
日経BPコンサルティングが実施したブランド認識率調査「ブランド・チャイナ2011」によると、上海地区ではキヤノンが34位にランクインし、日本企業で最高位(北京では99位とソニーに次ぐ2位)となった。

キヤノンは世界中で「CANON」のロゴを使っているが、中国では例外的に「佳能」と漢字を併記するなど現地化に配慮したことなどが奏功したようだ。製品名も同様に漢字を使用する。基本的なことではあるが、こうした徹底的な現地化が中国の人の心をつかんだといわれる。カメラミュージアムに対しても、そのこだわりは例外ではなかった。
2010年、中国におけるキヤノンの売上高は2300億~2400億円と前年比40%増の勢いで成長したという。それでも、「2017年に100億ドル」との目標にはまだ遠い。13億人の人口を抱え、広大な中国では、単発のプロモーションでブランドを浸透させることは不可能だ。それゆえ、キヤノンカメラミュージアムのような地に足のついた施策を継続的に繰り返す。それがキヤノンが選んだ戦略である。