オイシックスの奥谷孝司COCO(最高オムニチャネル責任者)による新連載のテーマは「エンゲージメント・コマース」。第1回は、ネットとリアルとを融合して顧客と強いつながり、きずなをつくることの重要性について考える。
オムニチャネルという言葉をよく目にするようになった。私のようなデジタルマーケティングにかかわる人間には数年前から聞きなれたバズワードではあるが、消費者の目にそのサービスの全容が明らかになってきたのはつい最近のことだろう。セブン&アイ・ホールディングスを筆頭に、多くの流通小売業でオムニチャネル戦略の立案、構築、実行が声高に叫ばれ、それがようやく形になりつつある。私の新天地における役職に(恥ずかしながら)チーフ・オムニチャネル・オフィサー(COCO)という冠が付いたのも、この流れと無縁ではない。
このオムニチャネルという言葉を改めてひも解くと、以下のような定義にたどり着く。それは、「実店舗やオンラインストアをはじめとするあらゆる販売チャネルや流通チャネルを統合すること、および、そうした統合販売チャネルの構築によってどのような販売チャネルからも同じように商品を購入できる環境を実現すること」というものだ(weblio辞書:オムニチャネルより引用)。
前職である良品計画においてCRM(顧客関係管理)アプリ「MUJI passport」やネットストアを運用し、「無印良品」のオムニチャネル化を進めてきた企業人の視点では、この定義に異論はない。しかし消費者としては多くの企業が取り組むオムニチャネル戦略には、足りないことが1つあると常に感じていた。それは「消費者行動がオムニチャネル化していることに対する企業の認識が、まだ十分ではない」ということである。
店頭やEC(電子商取引)サイト、スマートフォン、そしてソーシャルメディアなど。消費者は複数の顧客接点(チャネル)を自由に行き来して商品などの情報を探したり、他の人の意見を参考にしたりして、欲しい商品を見つけて、購入するようになっている。購入した後も人によっては、商品を使ってみた感想をSNSに書き込んだり、使用している写真を投稿したりすることもあるだろう。
こうして、検討→購入→使用&消費へと至るカスタマージャーニー全体のオムニチャネル化が進行している。企業はその事実を深く認識したうえで、自社の顧客がオンライン、もしくはオフラインのどのフェーズに消費者行動をシフトしているのかを把握し、それにフィットした戦略を描く必要がある。オムニチャネルは高速道路や物流インフラとは違って構築しさえすればみんなが喜んで使うようなものではないのだから。
「顧客時間」とは何か
こうした視点に立った時に重要になるのが、私が提唱している「顧客時間」という考え方である。顧客の一連の消費者行動を点(=瞬間)ではなく、線(=時間の流れ)で把握するものだ。

これまで小売業におけるマーケティングは購買という瞬間にのみ注力し、売れば終わり(買ってくれれば終わり)という発想に陥りがちだった。売り上げが上がれば企業に利益をもたらすのだから、この発想自体は正しい。しかし購買の瞬間だけに注力しても右肩上がりの成長は維持できない。もはや売っておしまいは通用しない。購入の前後に当たる、検討や使用&消費のフェーズにも視野を広げて、消費行動をどれだけ把握できるか、マーケティングに活用できるかが重要になっている。端的に言って、消費行動を時間軸で捉えるという発想がないオムニチャネル戦略では、いくらお金をかけようが、システム的に精緻であろうが、成果を上げることは難しいだろう。
顧客時間を把握するには
例えば、デジタルカメラの購入を検討している消費者がいたとして、何の情報も持たずにいきなり店舗に行き、商品を購入する人はもはや少数派だろう。大半の消費者は購入前にネットで情報を検索する。パンフレットやチラシなどではなく、ネットを使った検索であれば、その行動データなどから消費者が何を求めているかを知る手がかりが得られる。オンラインなら検討フェーズにある消費者の行動や興味関心を可視化できる可能性があるのだ。
検索、検討をした消費者は次に、購入のフェーズに入るだろう。ある消費者はそのままオンラインストアで購入し、別の消費者は店舗で実物を確認してから購入する。店舗で実物を確認した上でオンラインストアで購入するという人もいるだろう。
もちろん商品を購入し、実際に使っているフェーズにある消費者の行動、商品に対する評価などを知ることも企業にとって大きな意味がある。これまでもお客様相談センターのように、この使用&消費フェーズにある消費者の意見を知る手段はあった。しかしネットであれば、さらに広範かつ率直な意見などを把握できる可能性がある。
ここでオムニチャネルという言葉の定義を読み返してもらいたい。オムニチャネルとは、ネットとリアル店舗で同じ商品が買えることではない。そしてオムニチャネルでKPI(重要業績評価指標)とすべきなのは、売り上げだけではない。先の3つのフェーズをまたいで顧客とつながることが重要だ。企業が一方的にオムニチャネルの橋を企業最適で架けても、必ずしもその通りに顧客は動くわけではないのだから。

そしてカスタマージャーニーを通じてデータから消費者行動を把握して、マーケティングに生かせているかどうかをこそ、KPIとすべきだろう。これはECによる売上高が、実店舗のそれと比べてまだ大きくなかったり、リアル店舗の力が強かったりする企業でも変わらない。そうした企業でもオムニチャネル化は避けては通れない道である。顧客の貴重な時間を自社のために、どれだけ使ってもらえるか。EC売上高の拡大ではなく、自社と顧客とのつながりやきずなの強さ・深さこそが勝敗を分けるようになっている。私はこれを新しい「EC」(Engagement Commerce、エンゲージメント・コマース)と呼びたいと思う。
ネットとリアルとを協業させて、いかに顧客と強いきずなをつくれるか。それがオムニチャネル戦略にとってのカギだ。次回以降は、このエンゲージメント・コマースを体現している企業や、私が取り組んできたマーケティング事例を通じて、皆さんにエンゲージメント・コマースの具体的な事例を解説し、その意義を伝えていきたいと考えている。