最初のニュースは、去年の秋だった。日本民間放送連盟(民放連)の井上弘会長が2014年9月の会見で、在京キー局5局が共同で見逃し配信サービスをはじめることで意見がまとまったと話した、と報じられた。

 筆者は正直、この時点ではあまり本気で受け止めていなかった。“上のほう”で勝手に意見交換しただけなのではないかと。井上会長はTBSホールディングス会長でもあり、そんな業界の重鎮の提案に他局も建前上、合わせただけで、実現は無理だろうと高を括っていたのだ。何しろこの時点では、見逃し配信を実際にやっている局は日本テレビだけ。共同でやるなんて無理だと思っていたのだ。

 ところが、その後、TBSにはじまり、フジテレビ、テレビ朝日と続いて今年春にはテレビ東京も見逃し配信をスタートさせ、5局がそろった。

9月28日、在京5局は見逃し配信サービス「TVer(ティーバー)」を10月26日にスタートすると発表した
9月28日、在京5局は見逃し配信サービス「TVer(ティーバー)」を10月26日にスタートすると発表した

 3月には、5局共同での見逃し配信サービスを10月にはじめると、また井上会長が会見で発表。筆者は、その実現を疑ったことを恥じねばならなくなってしまった。井上会長が本気で各局との議論をリードしてきた、ということなのだろう。

 そして7月には「TVer(ティーバー)」というサービスの名称が発表になり、9月末には開始日が10月26日だというリリースが出た。いよいよ、本当に実現するのだ。

 ただ、各局の見逃し配信への姿勢や方針が違いすぎて、TVerに対する温度差はかなりあるようだ。特に、自局のオンデマンドサービスで会員の囲い込みに取り組んできた局にとっては、他のサイトでの活動にあまり力を入れにくいだろう。そんな裏側の事情はありつつも、TVerのスタートは広告業界にとって注目すべき点が多々あると思う。

安心して出稿できる広告枠に

 昨年は、「動画広告元年」などと言われ、ネット上の映像を活用したマーケティングに期待が高まったが、期待したほどの大きな動きにならなかったように見える。結局は動画広告≒「YouTube」となり、ネット広告の枠組みを脱せていない。そのYouTubeも広告単価も漸減気味で、新しい広告の場として沸き立つ感じはない。テレビ局が制作した番組がどんどんネットに出てくれば、この行き詰まりを打ち破る可能性がある。テレビ番組は個々の映像コンテンツとしてのクオリティーが一定の水準以上なので、スポンサー企業から見ても、安心して使える広告枠になるのではないか。

 各局個別の見逃し配信は、CM枠としてはあまり売れていなかったのか、日テレのサービス以外は自社広告だらけになっている。TVerにまとまれば、セールスもしやすくなるかもしれない。ただし、TVerが本当にネット上の広告メディアとして有力な存在になっていくためには、まだまだ整えなければならない点がいくつかありそうだ。

 まずは売り方の問題。米国のテレビ局はネットでの番組配信も進んでおり、広告取引もずっと活発らしい。米ABCは「ABC Unified」と称して、テレビ放送のCM枠もネットでの配信番組のCM枠も、同じCPM(広告表示1000回当たりのコスト)でセールスをする考えだと聞いた。広告枠を購入するスポンサー企業からすると、CMがテレビで見られようとスマートフォンで見られようと、とにかく見てほしい層にうまく接触できているかが大事だ。そこで、15~24歳までの女性にCMを視聴させたい、CPMいくらで、というような買い方にしていきたいという。日本では、時間はかかりそうだが、TVerはそのための最初のステップなのかもしれない。

「TVer」のWebサイト。テレビとネットをつなぎ、新しい動画広告を作る場となることが期待されている
「TVer」のWebサイト。テレビとネットをつなぎ、新しい動画広告を作る場となることが期待されている

 それから、せっかくネットで配信する番組を、人々にどう見てもらうのか。TVerの側から積極的にネット上でアピールする必要がある。その際の戦略について、筆者はこう考えている。テレビ番組をタイムラインに載せねば、と。

 言うまでもなく、人々がスマートフォンを手に入れて、何をやっているかといえば、SNSだ。そこで人々の心を引きつけているのは、タイムライン。そこに流れてくる話題の中から、気になるものをタップすることで、メディアやコンテンツに接触する。コンテンツはタイムラインに載れるかどうかが重要なのだ。

 テレビ番組の話題もタイムライン上によく流れてくる。「昨日、お笑いタレント○○○○が番組の中で△△△と発言」などと見出しが付いて、記事が流れてくるのだが、その多くは番組の書き起こし記事だ。ネタによっては大変なアクセス数となり、メディアに大きな広告収入をもたらしているのだろう。

タイムライン上の存在感が大切

 ところが、そこにはその番組の映像は置かれていない。何とももったいないことだと思う。その番組が見逃し配信の対象になっていれば、タレントの実際の声を聞くことができる。どんな話の流れでどんな顔で言ったのかも映像ならよく分かる。視聴する側としても、楽しさは文字だけより何倍にもなるだろう。技術的には、特定の発言の、ちょうどその場面を見せることも可能だそうだ。それがうまくできれば、大変なアクセス数になるだろう。動画広告を付ければ非常に有効に機能しそうだ。

 あるいは、そこまでややこしい話にしなくても、単純に見逃し配信の番組があらゆる人のタイムラインに載れば、TVerの価値は上がるだろう。若者のテレビ離れとよく言われるが、スマートフォンでYouTubeに置かれているバラエティー番組を見ている人は多い。テレビは家にないけれど、(テレビ朝日のバラエティー番組)『アメトーーク!』は毎週見てます、と平気な顔で言うのだ。そんな若者たちに、テレビ番組を今まで以上に(しかも合法的に)ネットで見てもらうためにもタイムラインでの存在感を増していくべきだろう。

 デジタルマーケター諸氏も、TVerにぜひ注目していただき、代理店やテレビ局に「こうしたほうがいい、こうしてくれたら買いたい」と積極的に意見をしてもらえると良い。彼らはネットでの広告取引に慣れていない。皆さんの積極的な意見で、広告枠として“練れて”くれば、枠として有効に機能し、デジタルマーケティングの幅が広がっていくだろう。ひょっとしたらネット上での“提供スポンサー”として、番組にデジタルマーケターが関わるケースも出てくるかもしれない。そうなったら、テレビ側もネット側も新しい経験ができる。実に楽しいことではないだろうか。

境 治 Osamu SAKAI
1962年福岡市生まれ、東京大学文学部卒。メディアコンサルタントとしてフリーランスで活動中。有料WEBマガジン「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」で最新情報を発信している。
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