デジタルインテリジェンス代表取締役の横山隆治氏が、日本企業にとって待ったなしの課題になっている「デジタルトランスフォーメーション」にまつわる課題について、直言する連載の第2回。今回は欧米の、しかも特にトラディショナルな企業のデジタル・トランスフォーメーション(デジタル変革)の事例を見ていくことにしよう。

 前回の連載で、デジタルの戦術部隊を「出島」にすることで、マーケティングの本丸のデジタル化をおざなりにしてはいけないと書いた。では、本丸をデジタル化するにはどんな処方箋が必要なのか…。その答えは、「本丸のデジタル化もまた人材の問題だ」ということである。本体のデジタル化をする場合は、経営層にデジタル人材が必要になり、戦術部隊のデジタル化とは次元の違うレベルの話になる。

 では、そもそもデジタルとは距離があるトラディショナルな業態を例にとって、欧米で起きている企業そのものの「デジタル化」の成功例、失敗例を検証しよう。1つ目は米ウォルマート・ストアーズだ。

 ウォルマートがシリコンバレーに「ウォルマート・ラボ」というインハウス・マーケティング・ラボを設立していることは有名だ。前回も書いたが、インハウス・マーケティング・ラボとは、消費者のデータの分析などをDMP(データ・マネージメント・プラットフォーム)を活用することで事業横断的に実行することも1つの大きな役割となる。

 ウォルマートのラボがテクノロジー企業を買収し、成長を遂げていることで注目されている。2016年8月には、EC(電子商取引)分野の有力スタートアップ「Jet.com」を3300億円で買収している。これはJet.comのマーク・ロア氏というEC界の精鋭の獲得に3300億円を投じたと言って良いだろう。

 マーク・ロア氏は2005年にベビー用品EC「ダイパーズ・コム」などを運営する米クィッジーを創業した人物だ。ダイパーズ・コムはベビー用品向けに最適化した配送システムを駆使して価格競争を展開し、アマゾンの脅威とみなされていた。そして2010年に同社をアマゾンに5億4500万ドル(約480億円)で売却している。つまりウォルマートは、一度はアマゾンに取られたマーク・ロア氏を、6年越しで獲得したということになる。

シリコンバレーに2200人のIT技術者を抱える

 ウォルマートのデジタル化は2011年4月に、シリコンバレーに拠点を置くソーシャルメディア関連のベンチャー企業コスミックスを3億ドル(約240億円)で買収した事に始まる。同社はその後、「@WalmartLabs」に改名しており、シリコンバレーに2200人のIT(情報技術)技術者を擁している。こうしてウォルマート・ラボが買収してきたIT企業群をまとめたのが下の図だ。

ウォルマート・ラボ(@WalmartLabs)が買収してきたIT企業群、出所:日本総研JRIレビュー 2016 Vol.6掲載「デジタル社会で競争優位を築くための企業のデジタル変革」(岩崎薫里氏)
ウォルマート・ラボ(@WalmartLabs)が買収してきたIT企業群、出所:日本総研JRIレビュー 2016 Vol.6掲載「デジタル社会で競争優位を築くための企業のデジタル変革」(岩崎薫里氏)

 今でこそ、内外から評価が高いウォルマートだが、2010年までは失敗続きだった。2007年には米ヒューレット・パッカードと組んで、映画のダウンロードサービスを始めようとして10カ月で撤退したり、ECの責任者を実績のある外部人材ではなく、小売事業の内部昇格者に運営させたが、全くうまくいかなかったこともあった。

「テクノロジーと人材」を買い、デジタル化を遂行

 しかし、コスミックス買収がきっかけとなり、事態は大きく前進する。決断したのは前CEO(最高経営責任者)のマイク・デューク氏である。彼は2011年にEC事業を本格的に見直し、ジェレミー・キング氏を米イーベイから引き抜いた。そのキング氏はウォルマートのECのバックエンドシステムをゼロから開発し直した。このようにウォルマートは「テクノロジーと人材」をいっぺんに買うことで、自社のデジタル化を実行している。「ものすごくクールな技術を開発していることでエンジニアを引きつけるか、良いエンジニアがたくさんいる会社を買う」のがシリコンバレー流なのだろう。

 では次に、米百貨店大手のメイシーズの例を見てみよう。同社は売上高の伸び率で見ても、株価の時価総額の点でも、同業のウォルマートに比べて、低迷しているとしか言いようがない。そんなメイシーズの経営体制を見ると、テクノロジーやイノベーションに強い責任者がおらず、経営陣は百貨店業界で育った人ばかり。そのためもあってか、メイシーズのデジタル化は遅々として進んでいない。

 もう1つ、典型的な失敗例を挙げるとすれば、英BBCの「デジタル・メディア・イニシアティブ」がふさわしいだろう。BBCは、すべての映像素材をデジタル化して一括管理し、制作者がニュースや番組制作に必要な映像をいつでも簡単にパソコンで利用できることなどを目指した「デジタル・メディア・イニシアティブ」という取り組みを推進していた。

 実現すれば、(1)業務プロセスの合理化によるコスト削減、(2)制作コストの引き下げ、(3)素材を新しくつくるのでなく再利用することが可能になり、9790万ポンド(約150億円)の経費削減を目論んでいた(2011~2017年の累計)。しかし、2013年5月に、BBCはこのプロジェクトを断念したと発表した。

BBC「デジタル・メディア・イニシアティブ」が辿った経緯、出所:英語版Wikipedia「Digital Media Initiative」を基に作成
BBC「デジタル・メディア・イニシアティブ」が辿った経緯、出所:英語版Wikipedia「Digital Media Initiative」を基に作成

 このプロジェクトが失敗した原因は、以下のような点である。

・プロジェクトのすべてを統括する責任者がおらず、複数の部署で責任を分かち合う体制だった。トップマネージメントのオーナーシップも欠如していた

・組織面の変更が重要であるにもかかわらず、技術面だけにフォーカスしていた

・報告体制も不十分で、執行責任をもつ執行役員会、監査・規定責任を持つBBCトラストも進捗状況を十分把握していなかった

・BBCトラストのメンバーが技術的な知識に乏しく、問題の所在を十分理解できなかった

・業務サイドから頻繁な変更要請が相次ぎ対応できなくなった

──など、挙げればキリがないほどだ。

「内向き」の発想では、デジタル変革はできない

 日本の企業でも当てはまる項目が多そうだが、要は、従来どおりの行動様式と内向きの発想では、デジタル変革はできないということだろう。ウォルマートという伝統的な巨大小売企業がデジタル変革をやっと軌道に乗せつつある理由は、外に目を向けたところにある。

 その意味で、ウォルマート・ラボは単なる研究室ではなく、「デジタル経営を担う人材を買う審査室」と言えるだろう。このウォルマート流の取り組みを図解すると、以下のようなイメージになる。

何を「事業イノベーション」に加えるか
何を「事業イノベーション」に加えるか

 トラディショナルな業態の企業に言えることかもしれないが、要するにデジタル・トランスフォーメーションとは、常に外に向かい、外部(の人材など)を取り込んで内を変革することなのだ。伝統的な業態の企業には、必須の考え方だと言えよう。