9月2日は、日本の映像メディアの歴史にとって、忘れられない日になるかもしれない。動画配信事業者の米ネットフリックスが、いよいよ今日から配信をスタートするからだ。

 ネットフリックスはDVDの郵送レンタル事業として97年に創業し、2007年からは軸足を映像配信に移し、米国で急成長してきた。米国はテレビ視聴にケーブルTVの契約が必要で、5000円から1万円程度の費用を払わねばならない。ネットフリックスはそれに比べて格段に安い料金で好きな時間に映画やドラマを見られるメリットを訴求し、成長のエンジンとしてきた。

米ネットフリックスが、ついに日本での動画配信を開始
米ネットフリックスが、ついに日本での動画配信を開始

 同社は海外市場へも積極的に展開してきたが、日本市場へはなかなか参入してこなかった。5つのネットワークの質の高い番組が無料で視聴できるなど、日本市場の特殊性に腰が引けて「参入せずに終わるのでは」とも言われていた。しかし自らオリジナルドラマを制作してエミー賞を受賞したり、高度なレコメンデーション技術を持っていたりするなど、ネットフリックスのユニークさには、日本でも一部の関係者が注目。そして2月に国内でのサービス開始が宣言されると、関係者の間には期待と焦りの声が渦巻くことになった。

 そんなネットフリックスが参入した日本でのSVOD(定額制の動画配信)市場には、これまでは日本テレビ放送網傘下の「hulu」と、エイベックス通信放送が運営する「dTV」ぐらいしかプレイヤーがいなかった。ところがU-NEXT(東京都渋谷区)が、運営する「U-NEXT」の会員が100万人に達したとリリースを出し、アマゾンもプライム会員のための動画配信サービスを発表、さらにカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)グループの「TSUTAYA TV」も大幅なリニューアルを実施するなど、新たなプレイヤーが続々と現れている。さざ波が立っていた程度の海面が、一気にレッドオーシャン化してきたのだ。このほかにも、筆者の元には新たな参入の噂が届いている。

 こうしたプレイヤーは、それなりの体力を持つのでマーケティングコストもそれなりの額をかけてきそうだ。SVODという、日本人にとって聞きなれないサービスが突如ホットになり、工夫を凝らしたマーケティング合戦のような状況が出現するだろう。デジタルマーケティングと戦略PRが複合的に駆使されるだろうし、必要に応じてマス広告も投入されるだろう。いまできることを組み合わせた最先端のマーケティング手法の展覧会になりそうだ。

アーリーアダプターを狙い、マス広告は使わない

 ゼロからサービスを開始するネットフリックスは、マーケターなどにとって、格好の観察対象となる。そして現在までのところは、実に上手にやっているように見える。彼らは当面、マス広告は使わないとインタビューなどで明言している。最初はアーリーアダプター層をスタート時のターゲットと設定し、広い認知より、特定層への深い理解を重視している。

 そのためメディアからの取材にも積極的に対応してきたし、一般的なメディアと同様あるいはそれ以上にコアなメディアを重視した。日本法人社長のグレッグ・ピーターズ氏のインタビュー記事があちこちに掲載され、本国オフィスの取材記事もネットメディアに掲載された。そうした記事を通して、彼らはサービスの内容を独自の企業カラーのアピールを混ぜながら啓蒙した。単に新たなサービスが始まるというストレートニュースではなく、ネットフリックスの企業姿勢をも伝える企業ストーリーとして、世の中に伝わった。実際、彼らの事業モデル、企業としての姿勢に先進的な人たちが関心を持っている。私もまんまと術中にハマり、彼らの企業姿勢を伝える記事を、何度か書いた。

 8月24日にはソフトバンクとの販売提携を発表したが、この戦略には、いくつかの意義がある。まずはリアルな場での販売ができること。米国では売場がなくてもユーザーが能動的に登録してくれた。テレビにかけるコストを下げる、という積極的な理由があったからだ。対して日本では、SVODにお金を払うという新しい文化を説明してくれるチャネルが必要であり、その役割をソフトバンクが担うことになる。

 もう1つは、多くの人に「自分にも関係ある商品」と印象づけることができることだ。「米国発のSVODサービス」というだけでは、「すごそうだけど自分には関係ない」と消費者に思われかねない。ソフトバンクが扱えば、日本の消費者に「自分も使うかもしれないサービス」として受け止められる可能性を高められる。

 ネットフリックスは、この提携発表と同じタイミングで、オリジナルドラマ『デアデビル』のPRイベントを行っている。マーベル・コミックが原作のヒーローもので、中田敦彦、なだぎ武らのタレントが「マーベル大好き芸人」と称して集まり『デアデビル』で盛り上がる、というベタなPR企画である。芥川賞を受賞し話題になった又吉直樹の『火花』をドラマ化して配信するとのニュースも飛び交った。異例のベストセラーを映像化するというこのドラマも多くの人の興味を引きそうだ。

 アーリーアダプターを狙うと言いつつ、こうして話題を振りまく施策も並行して展開。サービス開始に向けて、広い層に向けた話題づくりをして、アーリーマジョリティ層の開拓も平行して実施しているわけで、実にそつがない。

本やCDのランキングと同じように、人気動画の「huluランキング」を発表
本やCDのランキングと同じように、人気動画の「huluランキング」を発表

 huluは、親会社のメディアパワーをフルに駆使している。淀川長治のCGキャラが登場するテレビCMもよくできていたが、いくつかの番組の中で「huluランキング」を発表しているのはうまいやり方だ。本やCDのランキングと同じように、当たり前のような雰囲気でhuluの番組をランキング形式で発表されると、それを見て当然のような気持ちにさせられる。SVODという新しい文化を浸透させるために、効果的な手法と言えるだろう。

巨人アマゾンの反撃に注目

 dTVは映画『進撃の巨人』のスピンオフドラマを題材に、大々的にマス広告を展開している。映画版が大ヒットした後なので、マス広告を戦術として選んだのだろう。スピンオフは映画の制作と同時進行でつくったに違いないので、こうしたプロモーションをあらかじめ準備していたと思われる。コンテンツ製作そのものがマーケティング戦術も含んでいるのは興味深い。

 一方、アマゾンによるプライム会員向けの動画配信サービスは、漠然と「9月スタート」と発表しただけだ。この、もやもやした発表の仕方もマーケティング戦術の一環かもしれない。サプライズ的なスタートを狙っている可能性がある。「Amazonプライム」は、「お急ぎ便」が使い放題になるなどの特典があり、すでに何百万人も会員がいる。だから突然、新しいサービスを開始することで、そのタイミングでプライムサービスに加入してもらおうとしているのかもしれない。いつアマゾンがSVODの開始を明らかにするのか、楽しみだ。

 そしてこの3社以外の、噂される新規参入者がどのようなプロモーション展開をするのかも注目したい。どんなサービスをいくらで提供し、それをどういう形で発表するのか、広く一般にはどう伝えていくのか。典型的なレッドオーシャンになる中で、マーケティングの研究対象として格好の事例が続々と出てくるはずだ。今年後半はSVOD市場から目が離せそうもない。