今年で64回目となる「カンヌライオンズ2017」が6月17日から24日まで、8日間の日程で開催された。このフェスティバルは1954年のカンヌ国際映画祭で優秀なシネアドに賞を授与したのがルーツ。その後のテレビCMの興隆を経て、現在はインターネットを含むさまざまなフォーマットを網羅する世界で最も権威のあるコンテストに成長している。
カンヌライオンズで「デジタル」がコンテストの正式部門になったのは1998年のこと。現在ではデジタルに直接かかわる部門だけでもイノベーション、クリエイティブデータ、サイバー、モバイル、タイタニウムなど8つあり、全24部門の3分の1を占めるに至っている。
このコンテストの全体像を少しだけ説明しておきたい。クリエイティブ作品の国際的なコンテストとして広く知られているが、それに加えて期間中、数百に及ぶディスカッション、ワークショップ、スピーチが開催され、若手クリエイターのコンペティションや研修プログラム、エキシビション、プライベートイベントなどが各会場で繰り広げられている。つまりカンヌライオンズは「クリエイティビティー」をキーワードとして、その時代を彩るアイデア、技術、それらを支える周辺産業や社会全体を、効率よく俯瞰することができる世界で唯一のイベントだといえる。
もう一人の主役は中国
では、このカンヌライオンズの「主役」は誰なのか。2000年代半ばまで、それがメガエージェンシーだったことは間違いない。カンヌライオンズのメーン会場は地中海を見渡せる海岸線に面しており、かつては世界の名だたる広告代理店が競ってベースキャンプを設営し、クルーザーを横付けして極上のプライベートパーティーを催していた。

今年はどうか。同じ海岸線には20張り以上のベースキャンプが設けられていたが、そのオーナーは、フェイスブック、オラクル、デロイトデジタルといったデジタルプレーヤーたちだった。ブランディングファーム・プロフェットの創設者として知られるスコット・ギャロウェイ氏は自らのセッションの中で、この様子を第二次世界大戦でのノルマンディ上陸作戦に例えて、「連合軍が海岸線を制圧した。もはや勝敗は決した」と象徴的に語った。
もう一人、別の視点で主役を挙げるなら、それは中国だ。この国の台頭に触れなければならない。広告市場としての中国は2012年に日本を抜いて世界第2位となっている。カンヌライオンズへのエントリー数、来場者数、審査員数、スピーカー数は右肩上がりで、すでに⽇本を抑えてアジアの盟主の座にある。そして今年、カンヌライオンズは会期中の6月20日を2013年に続き2度目の「チャイナデー」に設定し、さまざまなセッションを繰り広げた。
中国の広告産業とクリエイティビティーの発展は、日米欧が半世紀にわたるマスマーケティング全盛期を経て熟成したのとは様相が大きく異なる。デジタルインフラを基盤に経済と広告産業とがゼロから垂直に立ち上がるという、世界で唯一の特殊な現象が起きている。
中国においてインターネットは「マスメディア」であり、その上で行われるマーケティングは効率よく多数に情報を届ける「マス的」なものである。ここを理解しないと中国の広告産業の本質はつかめない。チャイナデーの開催に象徴されるように、今世界は中国を本気で理解しようとしている。
こうして中国が脚光を浴びる一方で、日本のプレゼンスは退潮基調にあると言わざるを得ない。かつて世界経済の20%近くを占めていたころは、現在の中国と同じように、世界が日本を理解しようとしていた。しかしながら今の日本は自らを世界標準に合わせないことには、グローバルレベルで(中国と)同じ土俵に上がることすらできない。
次に、今年のデジタル関連分野の「旬」についても触れておきたい。キーワードで整理するならば、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、AI(人工知能)という6つの英文字に集約される。
VR、ARは最新のコンセプトとは言い難いが、スマートフォンの処理能力の飛躍的な向上やワイヤレス回線の高速・大容量化、コンテンツ制作の環境整備が、アイデアに満ちた高度な表現を適切な予算で実現することを可能にし、成熟した消費者を満足させる水準に達してきた。
AIについては長らく、「人間には及ばないが」という前提が付いていた。しかし、今やその前提は崩れ、人間以上に「あいまいさ」に強くなり、リミッターが外れた感じを受ける。「より細やかで、かゆい所に手が届くパーソナライズなマーケティング手法ほどAIに向いている」と言われる時代は、もう目の前に来ている。
グーグルの2連覇ならず
最後に今年の受賞作について、24部門の中からイノベーション部門を中心に紹介したい。イノベーションはテクノロジーをフックに表現、伝達手法、製品、サービスなどに商業的な側面から新たな価値を生み出した作品に授与されるもの。各賞の中でも極めて注目度が高い。
昨年はグーグルの「Alpha Go」がグランプリを受賞した。今年もグーグルの前評判は高く、VRペインティングソフト「Tilt Brush」により、同社の2連覇になると見られていた。Tilt Brushは3D再生用のゴーグルを装着し、手にはパレットと筆の役割を果たすデバイスを持ち、3D空間に自在にペインティングできる。自分が描いている作品の周りを360度歩いて確認したり、しゃがんで下からのぞいたり、中に入り込んで眺めたりすることができるアプリケーションだ。

これまでのVRのアイデアは、エベレストの頂上や宇宙空間、あるいは微細な空間など、人間が到達できない世界を仮想空間として自分の周りに再現することで、驚きの体験を演出していた。Tilt Brushには元となる風景も環境も存在せず、それ自体を人間の創造力で作り上げてしまうところが斬新だ。
そのため、このTilt Brushをグランプリと予想する人が多かったが、受賞したのは金賞。グランプリはスウェーデンのNPO(非営利団体)IMが獲得した。
IMは「Humanium(ヒューマニュウム)」と名付けた金属を“生産”している。といっても、その原料は鉱物資源ではなく、世界中で不法に流通している大量の銃器・武器である。それを鋳つぶして平和的に再生利用するリサイクル事業そのものを、イノベーション(作品)としてエントリーしてきた。
これをクリエイティビティーとして、どう評価するか。さまざまな意見が交わされたと推察する。だが、この作品がグランプリとなったこと自体が、今の不安定な世界情勢を反映した(情緒的な)判断なのだろう。これまでのカンヌライオンズでは、ここまで社会問題的な色彩が濃い作品に主要賞を授与した例はない。日本とは異なり、頻発するテロに直接対峙している欧州だからこそ、価値のあるイノベーションだと評価したのである。
メニュー化されたメディア上で、最善の回答を出すのがビッグアイデアだと言われた時代は終わり、一切の環境や条件の制限を受けることなく、複雑で曖昧な方程式にテクノロジーで答えを与え、世界中のだれもが理解できるシンプルで強烈なユーザー体験を創造する。それが今日的なクリエイティビティーのゴールだ。
しかし、だからこそ、そこには定型のプロセスが確立していない。一人のスーパークリエイターではなく、高い水準のアウトプットをビジネスとして生み続ける新しいフレームワークの登場が求められている。