オイシックスCOCO(最高オムニチャネル責任者)/統合マーケティング部部長である奥谷孝司氏による連載の最終回は、新しいEC(電子商取引)サービスである米インスタカートを題材に、エンゲージメントコマースと日本の小売業の未来について考察していく。

2012年に創業した米インスタカート。消費者の代わりに提携スーパーマーケットで買い物をし、自宅まで届けてくれるサービスを20の州と都市で展開している(2016年6月現在)。米国の高級食料品店ホールフーズ・マーケットを中心に20を超える小売業と提携し、サービス価値の向上に努めている。
同社のサービスインフラは、顧客と、ショッパーと呼ばれる購入者、配達者、そして店舗の4つで構成されている。顧客は、インスタカートが構築した情報システムを使って、一般的なEC(電子商取引)サイトと同様に商品を注文する。その商品を購入者が提携スーパーで購入し、さらに配達者が注文した顧客に届けるという仕組みだ。このうちシステム、購入者、そして配達者をインスタカートが調達している。

インスタカートの創業者であるアプーヴァ・メータ氏は米アマゾンの元社員である。彼は米ブルームバーグの取材に対し、「アマゾンは自社で物流インフラを持ち、一部だが自社商品在庫も持っている。それがリスクだ」と話している。そして自社のことを、「買物客と小売業者にソフトウエアを提供するシステム会社」だと表現している。そんなインスタカートのビジネスモデルには2つの強みがある。1つは各社が個別に構築してきた店舗出荷型ECシステムを汎用化し、複数の小売業に提供することで、事業会社のECシステムに対する投資リスクを低減している点だ。2つ目はシェアリングエコノミーを活用して低コストで労働力を調達している点である。
シェアリングエコノミーが抱える課題
シェアリングエコノミーとは、個人が保有する遊休資産を貸し出すことで収入を得ることを指す。そのプラットフォームを提供する企業や組織が介在することで成立するビジネスだ。米エアビーアンドビーに参加する貸主が空室を提供することで収入を獲得しているのが好例だ。同様に、好きな時に働けるメリットを提供するプラットフォーマーであるインスタカートは、メータ氏が言う通り、人的資産(社員)を抱えるリスクを最小化し、システム投資に特化することでビジネスを効率化している。
一方で課題も存在する。最も大きいのは、労働者との信頼関係の構築であろう。配車アプリ大手の米ウーバーテクノロジーズも、雇用関係の有無や労働条件の改善を政府や労働者から求められている。インスタカートも同様だ。シェアリングエコノミーは、企業にとって(一部の労働者にとっても)都合の良い仕組みであったが、労働法制の改正によっては、窮地に追い込まれる可能性もある。
では日本でインスタカートのようなビジネスは実現可能なのだろうか。仕組みとしては可能でも、実際に展開するとなると高人件費、少オーダー、高システム投資の三重苦でほとんど儲からないだろうと言われている。さらに、労働者保護、大手宅配業者によって既に整備されている物流網、コンビニエンスストアを中心とした店舗密度の濃さなどの観点からも、インスタカートのような店舗出荷型ECは、日本では不要に思える。それでも、以下の3点において日本の小売業が変革を起こせれば、日本版インスタカートの誕生が見えてくる。
第1は、顧客への店頭在庫情報の提供(可視化)である。店頭在庫の可視化を実現している小売業はまだ少ない。投資対効果が合わないからと考える向きもあるが、消費者がオムニチャネル化する中で、店頭に在庫があることをWebサイトやアプリを通じて提供することは、来店動機につながる。前職の無印良品でも、スマートフォンアプリ「MUJI passport」経由で店頭在庫を可視化したところ、「検討」の時間に商品在庫をチェックして、来店する顧客がいることが実証されている。
また店頭受け取りサービス(現状は物流センターからの店舗向け出荷)を活用する顧客は、ECによる受注全体の4%ほど存在していることも分かった。在庫データを可視化することで顧客の「検討時間」を確保し、「購入」までのプロセスを短縮して、購入動機を高めるべきだ。実際、インスタカートが実現しているのも、提携企業の店頭在庫の可視化だと言える。
第2は、モバイルを活用した事前決済である。いまだに現金による支払いが多い日本では、モバイル決済の導入に消極的な企業が多い。しかし事前決済を導入することで、前回紹介した米スターバックスや、米THE MELTのように、「検討」から「購入」までを一気通貫で実行する顧客を確保することにつながる。顧客の「使用&消費」の時間をなるべく長くすることができれば、日本型インスタカートの構築と、利用促進は可能だろう。
第3は、店頭受け取りサービス(ストアピックアップ)の普及である。都市部の消費者は、自ら来店して商品を受け取ることをさほど苦にしないであろう。毎日の通勤、通学などで公共交通機関を活用する人が大半で、駅の近くの店舗で商品を受け取れるなら、面倒な買い物時間の短縮につながる。時間帯を決めて店頭受け取りサービスを提供することで、来店動機をコントロールすることもできる。

このように「在庫の可視化」、「モバイルを活用した事前決済」、「店頭受け取りサービス」を実現できるエンゲージメント・コマース・プラットフォームの存在価値は極めて大きい。私自身も、そうしたシステムをぜひとも実現したいと考えている。
移動店舗にも可能性あり
最後にインスタカートとは全く逆の発想である「移動店舗」の可能性について検討してみよう。日本でも都市部以外では、消費者が買い物をする“環境”が十分に整っていない地域もある。そのため「店舗が自ら移動する」という発想も必要となる。もちろん全ての商品を運べないというデメリットはあるが、移動店舗を先のエンゲージメント・コマース・プラットフォームと連携すれば、「移動店舗における在庫の可視化」、「事前オーダー&決済」、「移動店舗における店頭受け取りサービス」が実現できる。その上で移動店舗の広告化、エンターテインメント化を進めれば、エンゲージメントコマースの1つの形として、大いに発展する可能性が出てこよう。
実はオイシックスは、「移動スーパーとくし丸」を展開しているとくし丸(徳島市南末広町)を2016年6月に連結子会社化している。とくし丸はオイシックスではリーチできない消費者にサービスを提供できる。一方、オイシックスも定期購入モデルで得た顧客の購入履歴のデータベース化、その分析・提案などの知見をとくし丸に提供することで、両社がともに成長できる関係を構築していくことになる。
さて、ここまで「顧客時間」という消費者理解の手法と、エンゲージメントコマースというマーケティング戦略を中心に私の考えを披露してきた。この8回にわたった連載が、これから皆さんが進めていくマーケティングのデジタル化に、幾ばくかでも貢献することを願いつつ、一旦筆を置きたいと思う。