今回は今年3月に筆者が米国シリコンバレーで体験した飲食企業を題材に飲食業におけるエンゲージメント・コマースを考察していく。
米サンフランシスコの市内にある、どこにでもありそうな普通のファストフード店。それがグリルチーズサンド専門店「THE MELT(ザ・メルト)」だ。今や動画もスマートフォンで撮影する時代だが、それ以前に、小型低価格で誰でも簡単に撮影できることから一世を風靡した「フリップ・ビデオカメラ」という製品があった。THE MELTは、その製造会社を立ち上げたジョナサン・カプラン氏が、新事業として立ち上げた会社である。

THE MELTには米大手ベンチャーキャピタルのセコイア・キャピタルが投資をしている。「どうして、こんな普通の店に」と多少の疑問を感じつつ、サンフランシスコの店舗を視察し、実際に顧客になってみると、有名VCが注目した理由がすぐに理解できた。
THE MELTが提供する顧客体験の最重要ポイントはもちろん、おいしい食事であるわけだが、その「検討」と「購入」の時間に入り込むべく、スマートフォンアプリを提供している。このアプリから事前注文するとQRコードが付与され、それを店頭でかざすことで調理が始まり、進行具合を店頭のモニターで確認できる。このオーダーシステムが秀逸なのだ。
店舗から数キロ以内でないと注文できない
来店前にオンラインで決済することは可能だが、店舗から数キロ以内でないと注文と決済とを一括処理できない仕組みにしている。これは遠く離れた場所から愉快犯的に架空注文されるのを防ぐと同時に、最寄りの店舗に注文してもらい、ちょうど食べごろのタイミングで商品を提供したいという企業姿勢を反映している。この一事を見ても、同社がIT(情報技術)を活用して消費者と上手くつながっていることが分かる。

自分が注文した商品はアプリ上の「オーダーボード」という画面で確認できる。店内にもオーダーボード用のモニターがあり、自分のイニシャルが表示されるので、商品が出てくる順番を確認できる。事前に決済していれば、後は商品を受け取るだけだ。
このように注文と決済とを来店前に完了できる仕組みを持っていると、店舗のオペレーションは格段に効率的になる。小型の店舗でも運営できるため、同じ店舗コストなら、より良い場所に出店することが可能になる。まさに顧客との時間共有が「三方良し」を実現している。
続いては、お馴染みの米スターバックスについて検討してみよう。ちょうどこの原稿を書いている2016年5月末に日本向けのアプリが上市されたが、私のお気に入りは米国版だ。THE MELTと同様に、購入から決済までを一気通貫でできるため今回の米国視察でも活用した。
アプリを起動すると最寄りの店舗が表示される。ルート付きの地図で、自分がいる場所からお店がどのくらいの距離にあるのかが表示されるので、行きたい店舗を指定してメニューから注文する。カスタムオーダーも可能だ。スタバ専用のカードかクレジットカードを登録し、デポジット金額を設定してアプリ上で支払い、店舗へ向かった。
到着した時には既に注文したラテが出来上がっていた。通常の店舗経験であれば来店、注文後に店員がカップに注文内容を書き込みバリスタに渡して、お客は出来上がりを待つ。アプリ経由の注文の場合は、レジ横の機械から注文内容が記載されたシールが出てきて、レジスタッフがカップに貼りつけ、バリスタに渡し、ドリンクの準備に取り掛かるようだ。

こうして通常の店舗オペレーションに組み込むことで、2014年末にオレンゴン州ポートランドから始まったこの注文サービスは、全米のスターバックスに広がりつつある。「Apple Pay」にも対応しており、店頭におけるキャッシュレスも実現している。2014年12月の米「Wired」の記事によると、米国のスターバックスでは週に約4700万回のレジ通過が発生し、うち700万回がモバイル決済だという。同社のCDO(最高データ責任者)アダム・ブロットマン氏は、「私たちは、お客様がこれまで経験してきた注文や支払い方法との違いをあまり感じないように、新しいモバイル決済を設計した」とさらりと述べている。
店舗オペレーションが最大のカギ
オムニチャネル戦略における最大の課題は店舗オペレーションである。私が前職で展開したスマートフォンアプリ「MUJI Passport」で最も気を使い、成功の鍵になったのは店舗スタッフが自信を持ってオムニチャネルツールを使いこなし、顧客に勧めることができる環境づくりだった。
THE MELTもスターバックスも、新しい仕組みを店舗オペレーションに組み込むには、ある程度の研修や教育が必要だっただろう。しかし、米国で見た店舗スタッフに悲壮感ややらされ感はなかった。圧倒的な顧客体験を提供しているという自負すら感じた。

最後に、両社に共通する顧客時間についてまとめてみよう。上図にある通り、この2社の顧客は、2社のサービスによって確実に検討と購入の時間を短縮できていることに気づくだろう。読者の皆さんも消費者の立場で、この消費者行動、顧客時間の使い方を考えてみてほしい。信頼しているブランドの商品を買うと決めている消費者は、その商品サービスを確実に確保して、消費者自身にとって最も大切な使用&消費の時間をそのブランド体験と共に充実させたいということだ。
ブランドとのエンゲージメントが醸成されている消費者にとっては、そのブランドに使う検討と購入の時間は短くても良いのだ。アプリを中心にいつでも好きなブランドと繋がれることによる顧客満足は大きい。そして消費者自身が商品&サービスをピックアップしにいくだけなのだ。こうしてサービスを拡張できれば、デリバリーサービスを展開することは容易であろう。店舗からのEC(電子商取引)も可能になる。まさに消費者がオムニチャンネル化している現在のトレンドに対応することが出来るのだ。
こうして米国の飲食業におけるエンゲージメントコマースを検討してみると、ECイコール宅配ではなく、消費者を動かしたり、消費者に動いてもらうことで、企業とお客に新たなつながりをつくることが可能だということが分かる。
あなたの会社が構築しているコミュニケーションチャネルは、顧客に本当の利便性を提供できているだろうか。そのチャネルを通じて、顧客とのエンゲージメントを高めることができているのか。その点をぜひ検証してもらいたい。買い物体験を通じて顧客に幸せを感じてもらうことこそが、エンゲージメントコマースの本質なのだから。