POS(販売時点情報管理)やレコメンドシステムなどの内製化に挑む企業が登場している。その真意を探るとマーケティングツールが抱える、あるジレンマが見えてきた。
数十億円の開発費用をかけて大手I Tベンダーに依頼し、基幹システムとマーケティングシステムを作り替えたものの、肝心のマーケティングシステムが思うように機能しない。加えて、マーケティングオートメーション(MA)ツールやDMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)といった新たな技術に対応しようとすると、さらなるシステム改修が必要になり、そのコスト負担が重いため、MAやDMP導入などの計画が一向に進んでいかない──。
これは、ある大手企業で実際に起こった出来事だ。最終的には、開発したマーケティングシステムの利用を諦めて、MAやDMPなどと連携しやすいシステムを別途、開発するという結論に至ったという。
デジタルマーケティングは、新たなツールや技術が相次ぎ登場し、プラットフォームの移り変わりも激しい分野だ。そのため、マーケティングシステムも時代の潮流に合わせた柔軟な拡張性が求められる。それゆえ、専門企業が開発するツールやサービスを利用するのが一般的だ。新たな概念や仕組みが登場すると、導入する企業側が手を動かさなくても、専門企業がすぐさま自社のツールやサービスを拡張して対応してくれるからだ。
単純にデジタルマーケティングだけを考えていればいい時代には、それで事足りていた。しかし、デジタルマーケティングは、今や経営と密接不可分な関係にある。「オムニチャネル」はその最たる例だろう。ネットと店舗の垣根をなくして、これまでにない購買体験を提供する。こうした考えは、マーケティングにとどまるものではなく、経営戦略そのものだと言えよう。
これを実現して競争力を高めるには、汎用的なパッケージシステムの導入だけにとどまらず、顧客情報や在庫などを管理する基幹システムとの連携など、自社の事業に合った仕組みの構築が求められる。ところが、すべての要件を満たしたシステムを構築しようとするとシステムが肥大化し、膨大なコストがかかる。また、将来の機能拡張を念頭に置かずに開発すると、新しい技術への対応ができにくくなる。すると、冒頭のような事態が生じることになる。
コストを抑えつつ、スピード感を持って自社の事業に適したシステムを開発する。こう言うと、到底不可能なことのように聞こえるかもしれない。だが、既に実現している企業がある。共通するキーワードは内製化、つまり自前主義だ。自社でITエンジニアを抱えてシステムを開発することである。
自社の事業内容をよく知る社員なら、適したシステムを構築できる。エンジニアが社内に常駐しているため、システム改修や追加開発にも即座に対応可能だ。
マーケティングと経営の距離が縮まってきた結果、このようにマーケティングツールで、自前主義にこだわる企業が登場している。自前主義を追求した結果、POS(販売時点情報管理)レジ・システムの開発にまで手を広げたのが、東急ハンズだ。
東急ハンズ:POSレジ
レジと連動したレコメンド表示、来年度中に全店導入目指す
「レジは、小売業におけるラストワンマイル。来店者と最後に接するのがレジだ。ところが来店者は今、店員がレジ打ちを終えるのを手持ち無沙汰に眺めていることしかできない。この時間と空間をコミュニケーションの場にしたいと思った」

東急ハンズ執行役員の長谷川秀樹オムニチャネル推進部長はPOSレジの開発に乗り出したきっかけをこう説明する。コミュニケーションの場をつくる策の1つとして考えたのが、POSレジと顧客向けのディスプレイを連動させ、顧客ごとに適した情報を表示することだ。
東急ハンズは昨年から、ポイントカードをアプリ化している。このアプリに表示されたバーコードをレジで読み取れば、過去の購買データなどに基づいて、お薦め商品を表示できるはずだ。また、会員でなかったとしても、商品バーコードをスキャンした時に、関連商品やよく一緒に購入される商品などを表示することもできるだろう。
ところが、「既存のPOSレジの開発会社にそうした構想を説明しても、(ディスプレイ付きレジに)買い替える必要があると言われる。またディスプレイに表示するため、協調フィルタリングを用いたレコメンド用のAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)をこちらで用意すると説明しても話が通じない」(長谷川氏)。こうした状況に業を煮やし、自社開発に踏み切った。
といってもハードを開発するわけではない。ここ数年でタブレット端末を使ったレジが爆発的に普及している。東急ハンズが開発するのも、そうしたタブレットをレジとして使うためのソフトウエアだ。開発する上では、誰でも使えるUI(ユーザーインターフェース)を念頭に置いた。「既存のPOSレジはボタンが多すぎて使いづらい。タブレットのレジでは、画面に表示された指示通りにボタンを押すだけで使えるようにした。研修コストも大幅に下げられるはずだ」と長谷川氏は説明する。
こうして開発したPOSレジを、まずは小型専門店「ハンズビー」から導入し始めている。現時点で導入しているのは10数店舗。まずは小規模の店舗で利用しながら、実際に利用する中で分かった不具合などを改修して、POSレジとしての完成度を高めている真っ最中だ。
そして、レジとして安定して利用できるようになった時、POSレジと連携したディスプレイへの情報表示や、東急ハンズのスマートフォン向けアプリと連動した情報発信などのマーケティング機能の開発に乗り出す計画。開発したPOSレジは、2016年度中にはハンズビーだけでなく、東急ハンズ全店にも導入を目指す。
大幅なコストダウンを実現
小売業が自らPOSレジを開発するという、他に類を見ない取り組みを進める東急ハンズだが、一足飛びにここまで来たわけではない。「自社のシステムを内製化し始めた2008年当時はまさか、POSレジを開発できるとは思ってもいなかった」と長谷川氏は振り返る。
東急ハンズが初めて内製したのは商品カタログのシステムだ。従来は、ITベンダーが提供する既存のサービスを使っていたが、管理できるのは商品情報のほか、売価やJANコードにとどまっていた。各店舗の売れ行きや店舗ごとの在庫数といった情報は見られなかった。これらの情報は一元管理できるようにすべきという考えから開発に踏み切ったが、適した人材が見当たらない。そこで、店舗の社員2人をエンジニアに職務変更した。もちろん、すぐにシステムの開発はできないため、外部の開発者2人に常駐してもらい、計4人で開発を始めた。内製化が進むにつれて徐々に人を増やし、2013年に開発部隊をハンズラボというシステム子会社として独立させた。POSレジも同社で開発を進めている。
内製化が進むことでシステムの開発スピードは増し、オムニチャネル化も加速している。EC(電子商取引)サイトから注文し、最寄りの店舗で商品の受け取りを希望する顧客がいたとしよう。そうした場合に、各店舗の在庫情報から、最も在庫数の多い店舗を自動的に選択し、ピッキングの指示を飛ばすといった自動発注システムも、内製で実現した。
開発スピードの向上に加え、目に見えて経営に与えるメリットとしては、コストダウンが分かりやすい。「エンジニアを採用しているため人件費は増加しているが、外注コストを大幅に減らせている。全体で見れば開発コストは年々減少している」(長谷川氏)。内製比率が高まることで、将来的にはITにかかるコストの9割近くが人件費になるとみる。直近では、iOS向けアプリの開発人材も採用した。従来はスマートフォン向けアプリの開発は外部に委託していたが、国内で利用者の多いiOS向けアプリについては、自社開発に切り替える計画だ。