日本交通が始めたタクシー車内でのCM動画視聴による値引きサービスが受け入れられれば、当然ながら配車アプリの利用が増えていく。これにより、日本交通のデータ活用戦略が大きく転換する可能性も秘める。

向かう場所に合わせた情報提供

 タクシーの平均乗車時間は15~18分と言われているが、ほとんどの人はぼーっと過ごしているという。今回の新サービスを立ち上げた、日本交通の総務財務部部長で無線センター副センター長、日交データサービスのプロジェクトマネージャーを兼ねる濱暢宏氏は、次のように語る。

 「平均15~18分の乗車時間を有効利用しようというのが、新サービスのポイントだ。時間がたつごとにメーターが上がっていき、料金を気にしながら乗車していた状況から脱して、何かをやっていただくことで乗車料金を安くできないかと考えていくうちに思いついた。タクシーの中は一種の閉じた空間であり、いずれは動画CMだけでなく、五感を生かした調査なども実施できるようにしたい」

 動画広告の視聴によるポイント付与サービスは、第一弾だ。既に10~15社のスポンサーが手を挙げているという。当初は、一律の広告だけだが、いずれ顧客の属性別に視聴する広告を変えていく計画だ。さらに「新商品を試食・試飲してアンケートに答えるようなサンプリング調査も実施していくし、将来的には物販も検討する」(濱氏)と言う。

 今回の新サービス実施に当たっては、博報堂グループがプロジェクトメンバーとして参画している。日本交通の濱氏が博報堂グループに声をかけた昨年秋以降に、新サービスのプロジェクトが始まった。今年4月から数カ月間は実証実験という位置づけだ。

 博報堂の生活者データマーケティング推進局の佐藤智施ビジネスディベロップメントディレクターは「(30秒50円の)動画広告ポイント料の値付けやサービス内容も含めて、様々な検証項目があり、実証実験の期間中に最適解を見いだしていく。タクシーの乗車時間に着目したサービスであり、既存メディアの置き換えというより、新しいメディアのマーケットを創造できるのではないかと考えている。具体的には、これまで(ネットの世界などでは)5分以上の動画を見ていただく場はなかったが、タクシーの乗車時間を活用することで実現できるのではないか」と話す。

 博報堂DYホールディングスのマーケティング・テクノロジー・センターの森山聡主任研究員は「自宅に帰る移動なのか、どこか遊びにいく移動なのかということで、移動の直前に乗客が求める情報を提供できる機会を手に入れることができた。ある場所でタクシーに乗車したことだけでも、これからどこに向かうのか、何をしようとしているのか推測できる場合もある。迷惑に感じないか配慮しながら、顧客に合ったサービスを提供したい」と、新しいメディアに期待する。

多少待っても日交の黒タクに

 他社に先駆けてスタートした日本交通の配車アプリは、タクシーの注文を手軽にしたことによって顧客に価値を提供し、アプリ経由の配車が全配車の約2割に達するまでになった。しかし、場所や時間によっては、配車アプリで予約しても目の前の空車タクシーを停める方が早いという現状があった。「配車アプリだけでは選ばれる会社にはなれない」(濱氏)のは百も承知だ。

 しかし今後、日交の黒タクに乗ればポイントを貯めることができるのであれば、事情は変わってくる。空車のタクシーを停めるなら、多少待ってでも日交の黒タクにしようとなるかもしれない。ここで初めて濱氏が言うところの「選ばれる会社」になるというわけだ。

 顧客が積極的に日交の黒タクに乗ろうとすれば、当然ながら実車率の向上が期待できる。実はここ十数年全国的にタクシーの実車率は低迷している。東京23区と武蔵野市・三鷹市の実車率を見ると、土地バブルだった1980年代には50%以上あったが、バブル崩壊以降は40%台前半と振るわない。その中にあって日本交通の実車率は「50%近い」(濱氏)と言うが、最盛期に比べると低いと言わざるを得ない。濱氏としても、実車率をいかに高めるかが、大きな課題だった。

タクシー運転手の年収は平均より約240万円低い
タクシー運転手の年収は平均より約240万円低い

 タクシー運転手の賃金は、歩合給が中心だ。日本交通の場合も、最低限の固定給はあるものの、大半が歩合給。1日の売り上げのうち6割が運転手に支給される。すなわち、実車率を向上させて売り上げを伸ばさないことには、運転手の収入を増やすことはできない。

 ちなみに、「東京都タクシー乗務員」の平均年収は、「東京都全産業男性労働者」に比べて約240万円も低いという調査結果がある。2013年度で約403万円だ。日本交通の場合はもう少し高いと言われるが、それでも東京都全産業男性労働者に比べて低いとみられる。

 実車率と平均年収から試算すると、実車率が1%上がると、月間で約1万円の収入増になるとみられる。それだけに新サービスが受け入れられるかどうかは、日本交通の運転手にとっては極めて大きな問題だ。もちろん、新サービスが成功して実車率が大きく上がれば、日本交通の売り上げもぐっと拡大する。

個客理解の探求で接客向上へ

日本交通本社にあるタクシーの配車センター、ここでアプリを通じた配車も手配する
日本交通本社にあるタクシーの配車センター、ここでアプリを通じた配車も手配する

 今回の新サービスが受け入れられれば、当然ながら配車アプリの利用が増えていく。これにより、日本交通のデータ活用戦略が大きく転換する可能性も秘める。

 これまでも同社は先進的なデータ活用施策を展開してきた。

 昨年夏、ある実証実験を行った。ベテラン運転手の経験や勘がなくても、確実に空車待ちの客をキャッチできるようなシステムの開発だった。ビッグデータ活用で得られた需要予測を基に実車率を3割増やそうという野心的な実験だ。

 GPSデータ(緯度、経度)、速度データ(時速、進行方向)、営業データ(実車、空車、予約)の大きく3種類の動態データを活用。詳細は公表していないが、空車から実車に変わったことをとらえて、そこに需要があると判断。需要のあるところにタクシーを向かわせるというものだ。「現在作り替えている無線システムが完成した後に、カーナビに埋め込む計画」(濱氏)と言う。

 これは主に「クルマ」のデータを活用していたが、配車アプリの利用が増えれば、「個客」の利用データも活用できるようになる。データ分析手法でいえば、売上高という目的変数を高めるための説明変数はクルマが中心だったが、それに個客が加わるというわけだ。配車台数、実車率を上げるだけでなく、顧客1人当たりの利用頻度や利用額を高めるにはどうすればよいかという視点で、データ分析と施策の検討ができるようになるはずだ。

 顧客生涯価値の向上のために、接客に個別のデータ活用をすることも考えられる。車載端末(カーナビ)に顧客情報を表示して、運転手が過去の利用状況を知れば、「いつもご利用いただき、ありがとうございます」と声をかけることができる。その顧客が帰宅する場合であれば、初顔の利用客でも「いつものルートでよろしいでしょうか」と、なじみ客に対するような接客も可能だ。

 顧客からしてみれば、いちいち道順を教える手間が省ける。そこに便利さを感じれば、また日交の黒タクに乗ろうという気になるだろう。新サービスが日本交通の全車両で利用可能になれば、顧客のデータがどんどん貯まっていき、「個客理解」がさらに進むはずだ。そのことによって選ばれる回数が増えて実車率の向上になり、売り上げ増になるサイクルが回り続ける。

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