病気と医療行為に関するビッグデータが病院内に日々蓄積されている。宝の山であるが、多くが活用されていないのが現状だ。しかし一部には、経費削減や社会課題解決に成果を上げているところが出始めた。今回は医療ビッグデータ特集の最終回となる。

 電子カルテなどの普及により、病気と医療行為に関するビッグデータが病院内に日々蓄積されている。宝の山であるが、多くが活用されていないのが現状だ。

 厚生労働省はこれらのデータのうちレセプト、健診結果のデータ、DPC(診療報酬の包括請求制度)の診療データなどそれぞれ全国規模の大規模データベースを作り上げている。医療行政を点検し、改善することが主な目的だ。

 さらに、全国規模のレセプトや健診結果や特定保健指導(メタボ対策)のデータを統合したデータベースは「ナショナルデータベース」と呼ばれ、すでに69億件のレセプトデータが蓄積されている。具体的な成果はこれからだが、2008年から国が進めてきたメタボ対策の効果を調べるのに使われている。

医療分野の公共ビッグデータプロジェクト
医療分野の公共ビッグデータプロジェクト

DPCデータで他院と比較

 DPCとは、病気の種類と診療内容によって分類された区分に基づいて、あらかじめ国が定めた1日当たりの定額費用と出来高費用を組み合わせて入院診療費を計算する方式である。結果として、DPCに参加する病院のデータは病名が標準化されるため、分析しやすくなる利点がある。

 DPC参加病院の統計データは、「DPC導入の影響評価に係る調査」として病院名入りで公開されている。病院経営の改善や診療行為の見直しに活用する医療機関も多い。

 例えば、広島赤十字・原爆病院は2008年にDPCに参加する2年前から、DPCに参加した場合のシミュレーションを作成し、使用している医薬品や医療器具のコストなどを徹底的に見直した。近隣の病院や全国平均と比較できることが重要だった。

 同病院でデータ分析を担当した西田節子医事顧問は、「『自分たちのやっていることだけが正しいのではない。まわりを見てください』と言えば、先生方も耳を傾けてくれた。データの力はすごかった」と振り返る。同病院は2007年までは病院の利益が赤字になることが多かったが、2008年以降は黒字が続いている。

広島赤十字・原爆病院の医業事業の利益の推移
広島赤十字・原爆病院の医業事業の利益の推移

DPC活用のインフラが整う

 データを活用しようという意欲の高いDPC病院がたくさんある。メディカル・データ・ビジョン(東京都千代田区)のDPC病院向けの分析パッケージ「EVE」を使うと、厚生労働省が公開しているDPCの統計情報よりもはるかに詳しく他病院との比較ができる。

 EVEを導入した病院は毎月DPCの診療データを暗号化して同社のサーバーに登録する。すると、同社から他病院との比較に使う最新のデータがフィードバックされる。DPC病院は全国1585病院あり、そのうち662病院がEVEを導入している。広島赤十字・原爆病院もその1つだ。

 メディカル・データ・ビジョンは2011年からDPCのデータを製薬会社などに販売することも始めた。EVEを導入している病院のうち、DPCデータの2次利用契約を結んでいる病院が145施設。このデータが現在739万人分蓄積されている(毎月20万人ずつ増加)。こうしたデータを分析できるツールの利用料金は年額2000万円となる。

 このデータを分析することで、医薬品の副作用がどのような種類で、どんな患者に、実際にどれくらい発生しているのかが分かるのだ。医学的にたいへん貴重なデータだ。

 レセプトを分析して保険加入者の病気の進行を遅らせ、医療費の増大にも歯止めをかけることに成功した事例もある。広島県呉市だ。

医療費増食い止める「呉市モデル」

 呉市の保健事業は国が進めている「データヘルス計画」を先取りする事例として注目され、「呉市モデル」とも呼ばれている。

 データヘルス計画とは保険者(健康保険の運営主体)が持つレセプトや健診データに基づいて、身のたけにあった保健事業計画を作り、加入者の健康の増進や病気の予防に取り組むもの。厚生労働省はすべての健康保険組合が2014年度にデータヘルス計画を作り、2015年度からそれを実施するよう求めている。

 人口24万人の呉市は高齢化の進んだ都市である。年齢65歳以上の高齢者の占める割合が31%を占める。国民健康保険1人当たりの医療費は年間41万3000円(2012年度)で、日本の全市町村平均の1.3倍にあたる。

 だが国民健康保険の1人当たりの医療費の増え方は、全市町村の平均では2010年度が3.9%、2011年度が3.1%の増加である。呉市では2010年度が2.8%、2011年度が0.2%、2012年度が1.2%の増加にとどまっている。

 高齢者の健康維持や医療費の問題に対処するため、2010年から呉市が本格的に取り組んだのがレセプトと健診のデータを活用した保健事業のPDCAサイクルだ。

120万円の郵便で1億円以上削減

 レセプトを分析して効果の高いものを見つけ出すことから始まった。手を打ちやすく費用対効果の高い対策の筆頭は、後発医薬品の使用だ。呉市はレセプトから医薬品の使用状況を調査し、後発医薬品の使用を郵便で呼びかけた。これにかかる郵便料金は年間120万円(年間1万8000通)。後発医薬品による医療費の削減額は年間で1億3470万円である。

「呉市モデル」の仕組み
「呉市モデル」の仕組み

 効果の高い保健事業として糖尿病性腎症の重症化予防に取り組んだ。病気が進行して人工透析治療にまで進んでしまうと、年間の医療費が約600万円と高額になる(保険加入者が支払うのは自己負担限度額まで)。その手前のインスリン治療なら年間医療費は約60万円で済む。

 呉市は生活習慣の影響が大きいとされる2型糖尿病に由来する人たちをリストアップ。医療機関を介して生活習慣を改善する保健プログラムへの参加を呼びかけた。

 重症化予防はうまくいった。対象者の病気が進行していないことを糖尿病の指標値(血液中のヘモグロビンA1c)や腎機能の指標値(血清クレアチニン)で確認している。これは、認知障害があるかどうかなど他の病気の状況を勘案して対象者を絞り込んだためでもある。データに基づいて確実に成功するように計画を立てるのが「呉市モデル」の要諦だ。

 ただ、レセプトのデータ分析は簡単ではない。呉市のレセプト分析に協力した、医療分野に特化したシステム開発企業のデータホライゾンの内海良夫社長は、「レセプトが電子化されていても、そのままでは分析に使えない」と指摘する。

 分析して保健事業に活用するにはまず、病気の名前などの標準化が必要だ。これが意外と容易ではない。レセプトに複数の病名が書かれている時は、病名と診療行為を結びつける情報がレセプトにはない。このため病名ごとの医療費が分からない。

 データホライゾンは1991年ごろからレセプトの分析に取り組み、レセプトをコンピュータで分析する技術を蓄積してきた。その成果が病名と診療行為を結びつけるデータベースだ。レコード数は280万件に上る。

 今も社内の専門スタッフ20人の体制で、レセプトを正確に分析するためのデータの更新に取り組んでいるという。こうしたデータベースを使って初めて、レセプトから病名ごとの医療費を高い精度で算出できる。

プライバシーとのバランスが重要

 医療現場におけるデータ活用は現時点ではコスト削減が中心だが、今後は、ビッグデータ技術が医療自体のイノベーションを加速させる。例えば、患者個別のオーダーメイド医療や、先回りで対処する予防医療のような画期的な医療の扉を開ける気運が高まっている。

 先に紹介した東大医科研のヘルスビッグデータを用いた健康長寿イノベーションと同じ考え方の研究プロジェクトが各地で進む。日本人の集団の遺伝子情報と生活習慣、病気や健康との複雑な関係を長期間の追跡調査で解き明かそうというものだ。これらの研究プロジェクトは「ゲノム疫学」と総称される。

 こうした研究は容易になったが、プライバシー保護と丁寧なカウンセリングの重要性が高まっている。自分の遺伝子を検査すれば、子供の遺伝情報もある程度分かってしまう。

 プライバシー保護で、注視すべきが社会保障と税を扱う「マイナンバー」の医療分野への横展開だ。政府のIT総合戦略本部は今年5月、「中間とりまとめ(案)」で、医療分野への適用を検討するよう求めた。医療分野のマイナンバーの導入は、プライバシー面の社会的な合意を得るうえで重要な一里塚となりそうだ。

 医療分野で国民一人ひとりのユニークIDがないことが、日本の医療ビッグデータ活用の弱点でもある。ナショナルデータベースに蓄積されたレセプト情報と健診情報を簡単に結びつけられないのも、そのためだ。

 一方で、電子化されたデータは流出しやすい。日本医師会は医療情報のプライバシーをもっと大切にするように主張する。医療イノベーションの促進と同時に、「個人情報保護法に違反した際の厳罰化が必要だ」(石川広己日本医師会常任理事)という医療現場の声を制度やルールに反映していくことが求められる。

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