東日本旅客鉄道(JR東日本)は、オープンイノベーションによるサービス革新に注力を始めた。このほどNTTドコモとアプリコンテストを開催し、最優秀賞は山手線内の音波ビーコンを活用して楽しむゲームアプリが受賞。鉄道会社の発想を超えるような成果が出始めた。

 同社はIoT(Internet of Things)やビッグデータ、人工知能(AI)などの技術進展を見据え、20年後をターゲットにした「技術革新中長期ビジョン」を昨年11月に公表。自宅から目的地までの移動をシームレスな情報提供でサポートする「Door to Doorの移動と“Now, Here, Me”の情報提供」などの「モビリティ革命」の実現を目指している。

 ビジョンの実現へは、グループ外企業ともつながりを創出する仕組みを構築すると表明した。つまりオープンイノベーションの推進である。アプリコンテストのように同社が持つビッグデータなどの資産をベンチャーも含む他社へ提供することで、新たな発想のサービスの開発へ挑む。

鉄道会社がICTで事業創造

 JR東日本は国内の人口減少などを見据えて、新事業の育成を積極的に進めている。既に駅ビルなどの生活関連事業は、鉄道事業に次ぐ柱に成長している。

 また、「Suica」はもともと交通系ICカードとして始まったものだが、電子マネーとして広く使われるようになり、入館証のキーなどとしても使われるようになった。今では同社の3番目の事業の柱として育っている。

 さらなる展開がオープンイノベーションの推進による、ICT分野での新たなビジネスの創造だ。

 この事業を取りまとめているのが、IT・Suica事業本部業務推進部 ICTビジネス推進グループだ。この組織は4年前にできたものだが、当初は試行錯誤を重ねていたという。

 グループリーダーの伊藤晶子氏は、「我々のミッションはJR東日本グループが持つ様々なリソースをICTの切り口で見直し、新たな価値を創造するというものだ。このミッションは試行錯誤の中で1年ほど前に上位概念として整理できた」と語る。

 これまでは、「JR東日本アプリ」や「モバイルSuica」など、自社ブランドで提供するサービスが多かった。それだけではできないことを、JR東日本が持つ運行関連データ、Suica履歴などといったリソースを社外に提供し、パートナーとの協業や、他の事業者を支援する形でサービスを広げようとしている。

 JR東日本アプリのダウンロード数は200万に達しているが、それでも日本国民の数十分の一の浸透率。ヤフーなど社外の企業に地図や駅構内図を出すことで、彼らのアプリなどでより多くの人に情報を届けることができ、JR東日本のサービスが使いやすくなるのだ。

ICTビジネス推進グループのミッションは、協業や他事業者へのライセンスも取り入れ、多様なサービスの提供方法を検討すること
ICTビジネス推進グループのミッションは、協業や他事業者へのライセンスも取り入れ、多様なサービスの提供方法を検討すること

アプリコンテストを開催

 こうした活動の一環として、「山手線ビーコンを使ったアイデア・アプリコンテスト」をNTTドコモと共催した。NTTドコモが技術提供をして山手線全車両に設置した音波ビーコンと列車走行位置情報というデータを活用して、「電車の移動」に新たな価値を創造することを競うコンテストだ。

 音波ビーコンとは人の耳に聞こえない特殊な高周波音を発信する装置。この音波をスマートフォンのアプリなどで受信することによって、乗車している車両のIDを取得。そのIDとひも付いた車両の様々な情報を取得できる。JR東日本アプリ内のサービスである「山手線トレインネット」で、車両ごとの温度や混雑状況などを配信するために設置、利用されている。

 今回のコンテストは、JR東日本が持つ山手線の音波ビーコンというリソースを広く知ってもらうこと、そして外部の企業にビーコンを活用した新たなサービスを開発してもらうことを目的に開催した。広くアピールするため、アプリ開発より敷居が低いアイデアソンも実施した。また、受賞だけを目指すアプリではなく本気でビジネスを考える「企業」に条件を絞った。応募件数は事業化に本気の企業による19件となった。

山手線内で楽しむゲーム

 コンテストの結果発表会は2月20日、さいたま市の鉄道博物館で開催した。一次審査を通過した5チームがプレゼンテーションを行い、審査員による質疑応答などの後に審議した。

アプリコンテストで最優秀賞となった「黒猫誘拐事件」は、物語の中に自分のいる車両情報などが反映される
アプリコンテストで最優秀賞となった「黒猫誘拐事件」は、物語の中に自分のいる車両情報などが反映される

 最優秀賞を受賞したのはアプリ開発などを手掛けるQOLP(東京都新宿区)の「黒猫誘拐事件」。このゲームアプリは黒猫ミーを救出する物語を楽しむもので、山手線の進行に合わせて進んでいく。

 音波ビーコンのデータを基に、プレーヤーの乗車号車などが物語に盛り込まれる。プレーヤーがいる駅や車両、季節や時間帯などでストーリーを分岐させることができ、物語は様々なバリエーションで展開されるという。どの駅からスタートしてもよく、どの駅で終わってもよい。続きは明日からなど、普段の通勤や通学のなかで楽しめる。

 他の企業向けにマッシュアップメニューを用意し、各駅の周辺情報やイベント情報をゲーム内で配信することも可能。受賞メンバーは「外の風景と物語を連動させるなど乗客に新しい移動体験を提供したい」と語った。

 優秀賞は子供を連れた母親を想定したお出かけサポートアプリ「ママの手」(ミツエーリンクス)と、車両内限定のメッセージアプリ「KINOWA」(ORBITALLINK)の2作品だった。

 受賞した3作品には、最大半年間、商用環境でのテストマーケティングを行う権利が無料で提供される。今後、サービスの実現に向けてのアプリ開発が進められることになる。

 「予想以上に面白く、我々だけでは考えつかなかった。どれも力作で、よくぞここまで作ってくれたなと思う」と伊藤氏は今回のコンテストに手応えを感じている。

課題はデータ公開への社内理解

 大企業がオープンイノベーションを進めるには、ベンチャー企業などを単なる下請けや発注先ではなく、新しい事業を共に作るパートナーとして扱う必要がある。

 ICTビジネス推進グループ松藤淳一氏は、「技術の移り変わりが激しいICTの世界では、様々な得意分野を持つ企業がある。こちらからアプローチした企業が最適かどうかというのはなかなか分からない。鉄道サービスに興味があり、当社のリソースを活用してくれる企業と出会いたい。そういう意味で今回のコンテストはJR東日本が門戸を開いていることを知ってもらういい機会になった」と振り返る。

 コンテストの説明会では、JR東日本の文化とは異なる、ベンチャー文化を持つ企業も多く参加していた。社内の常識と社外の常識の組み合わせが今後どう発展していくのか楽しみだという。

 「私たちが大した価値がないと思っているものが、外の会社から見たら、相当価値があるかもしれない。今後も(社外へ提供できる)リソースを増やしたいし、リソースとリソースを掛け合わせることでまた新たなサービスが生まれると思っている。こういった活動を地道に継続していきたい」と伊藤氏は展望を語る。

 その上で課題も見つかった。オープンイノベーションを進めるにしても、社内の体制を整える必要があると感じたという。

 「安全に関わる会社なので、データを取りまとめるにしても、技術的にもセキュリティ的にも社内の理解が必要だ。また、どのようなリソースをJR東日本が持っているのかを外部の企業にいかに理解してもらうかも課題だ」(松藤氏)。

 今回のコンテストは該当しなかったが、パーソナルデータを扱うのであれば匿名化の方法などに慎重な検討が必要だろう。

アプリコンテストの結果発表会はさいたま市の鉄道博物館で開催された
アプリコンテストの結果発表会はさいたま市の鉄道博物館で開催された
この記事をいいね!する